2013年06月22日

あの人は今どこに

Kスポ−ツクラブの男性更衣室の件があってから、
私は、男性の人権擁護に取り組む団体を探して、
インタ−ネットで検索をするようになった。
その頃、ネットには、「メンズリブフォ−ラム札幌」という名のHPがあって、
「活動場所」と書いてある北海道立市民活動促進センタ−に電話をしたことがある。
連絡先は、札幌エルプラザの市民活動センタ−だという話を聞いて、
そちらに問い合わせの電話を入れたが、
「今はもう活動していないようだ」という答えしか返ってこなかった。
「賛同人」になっていた、北海道大学大学院の助教授の、
Sさんに聞けば何かわかるかもしれないと思い。
そちらにも電話をしましたよ。
出てくださったのは庶務のOさんという人で、
私の電話をていねいに受けてくださって、
助教授のSさんと連絡を取ってくださった。
しかし、得られた答えは市民活動センタ−と同じで、
結局私は、「メンズリブフォ−ラム札幌」を立ち上げた人の名前も、連絡先も、
知ることができなかった。

わからないから、X(エックス)さんにしましょうか?
Xさん、あなたは今どこにいますか?
もしかするとすぐ近くにいて、
「差別ネットワ−ク」に書き込みをしていたりして?

インタ−ネットを媒体として男性差別とたたかう人には、
私など足下にも及ばない論客もいて、
それは、幾ばくかの安らぎを私に与えることもあるが、
なぜか、男性差別とたたかう「団体」の姿が、
「差別ネットワ−ク」以外には見えてこない。
「男性差別を許さない市民の会」には、何回かアクセスしましたが、
なぜかご返事いただけないのです。

「賛同人」に大学の先生を据えて、
前向きな言葉でホ−ムペ−ジを立ち上げていたXさん。
あなたは今、どこにいますか?
あなたのような人や、インタ−ネットの論客や、
全国の、男性差別を憂う人たちが結集して、
男性差別とたたかう団体が、
今の日本にはつくられなければならないと、
私は強く思っている。

2013年09月18日

愛の世界をあなたに (1) 百万本のバラ (加藤登紀子)

加藤登紀子の歌は共感性に溢れています。
私は最近、特に「18の頃」が好きで、車の中でよく聴いていますが、
今回は、有名な「百万本のバラ」を、このブログにのせることにしました。

本当は、私のCDから、画像なしでアップしたかったのですが、
著作隣接権の問題をクリアできないので、
You Tube からのリンクにさせていただきました。

    【追記 2014.8.14】 
       下の動画がいつの間にか削除されてしまい、たいへん残念です。
       しかし、曲は You Tube で聴くことができます。
       URLは次の通りです。

http://video.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E7%99%BE%E4%B8%87%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%90%E3%83%A9+%E5%8A%A0%E8%97%A4%E7%99%BB%E7%B4%80%E5%AD%90



私は、特に、
安らぎのない日々を送っている男性に、この曲を聞いてほしいと思っています。
加藤登紀子の歌声は、きっとあなたを癒やしてくれるはずです。

ある男性はネットの中で、「この曲を聴いて泣いた」と言っていました。
「貧しい画家」と自分を重ね合わせたのだそうです。
でも、人前では、男性はそんなこと言えませんよね。

しかし、もしもあなたが一人の部屋でこの曲を聴くのなら、
見ている人は誰もいません。
ジェンダ−の呪縛を捨てて、あなたは泣いてもいいのです。

     ◆      ◆      ◆

ところで、「ウィキベディア」からの引用ではありますが、
この曲の解説を、次に要約します。

 『百万本のバラ』の原曲は、1981年にラトビアの放送局「ミクロフォンス」が主催する歌謡コンテスト「ミクロフォナ・アプタウヤ」で歌われた『Dāvāja Māriņa:マーラ(注1)は与えた』というラトビア語の歌謡曲。作曲はライモンズ・パウルス。作詞はレオンス・ブリアディス。この曲は、コンテストで、アイヤ・ククレ とリーガ・クレイツベルガ の2人によって歌唱され、優勝曲となった。歌詞の内容は、後述のロシア語版やその内容を踏襲した日本語版とはまったく異なり、大国にその運命を翻弄されてきたラトビアの苦難を暗示するものだった。ラトビアのラップ歌手のオゾルスが、この曲をラップミュージックに編集して歌唱している。
     (注1) 「マーラ」はラトビアの神話に登場する女神。ラトビア神話の神々のなかで、
        最高位にある神の一人。

 アーラ・プガチョワの歌唱で知られるロシア語版の作詞者は、アンドレイ・ヴォズネセンスキー。1982年にメロジヤからシングル盤として発売された。多くのテレビ番組やラジオ番組で取り上げられ、ソ連崩壊まで長きにわたって絶大な人気を博した。日本では、ビクタ−から、1983年にLP盤が、1988年にはCDが発売された。

 歌詞の内容は、グルジアの画家ニコ・ピロスマニが、マルガリータという名の女優に恋をしたという逸話に基づいている。ラトビアの作曲家が書いた曲に、ロシアの詩人が、グルジアの画家のロマンスをもとに詞をつけ、モスクワ生まれの美人歌手が歌うという、多様な民族の芸術家が絡んでいる点で、ソ連ならではの歌とも言える。

 このロマンスの真実性については諸説ある。ピロスマニは、マルガリータをモデルとしたといわれる作品を何枚か残しており、グルジアの首都トビリシの国立美術館で、『女優マルガリータ』を観ることができる。1969年、パリでピロスマニの個展が開催された際には、マルガリータ本人と目される女性が現れたと伝えられる。一方、1975年にピロスマニについての研究書を著したエラスト・クズネツォフは、この著作の中で、マルガリータの実在性に強い疑問を呈している。

 山之内重美は、2002年の著作において、ピロスマニにマルガリータという名の恋人がいたことは確からしいとしつつ、彼女がバラの花を愛した、とか、画家が大量の真紅のバラを贈った、といったエピソードは、ヴォズネセンスキーの創作だとしている。2007年には、ロシアの文化テレビ局が放送した、ピロスマニについてのドキュメンタリー番組で、パリでの個展の際の出来事が紹介された。

 日本語版は、加藤登紀子の訳詞、および歌唱にて、1987年にシングル盤として発表されたバージョンが著名。
                                  

2014年04月15日

ロングカ−ディガン

「女性専用車両に反対する会」の入会申込書の中に、
最近の女性の、性的挑発傾向の強い服装を批判する文章を書いたら、
「市民権さん」から、
「服装の自由」を主張するコメントをいただいた。
返信はコメント欄に書いたが、
実は私も、基本的には、
「服装は自由だ」と主張する人間の一人で、
服装に関する私の個性は、男性としては、たぶん強い。

私は、自分に似合わない服装はしないが、
実は1年ほど前から、
メンズライクではあるが、
レディ−スのロングカ−ディガンを着て、
ショッピングモ−ルを歩き、
喫茶店でブログの原稿を書くようになった。
以前買った、比較的高価なメンズのセ−タ−の中に、
きれいなパ−プル系の、気に入っていたVネックがあるが
この冬はそれを着ることがなかった。

好きなデザインのロングカ−ディガンを着て、
全身が映る鏡の前に立てば、
鏡の中に、幸せな自分がいる。
記事「男性の自殺 (1)」に書いた理由によって、
私は、光を気にするが、
それが、均一にあたる柔らかい光であれば、
求める美しさは鏡の中に現れる。
煩悶から解き放たれた、幸せのひととき、
それは、もしかして、ナルシシズム・・・・・?
いや、そこまでの自己陶酔ではなくて、
もしも私が女性であれば、鏡の前の平凡な幸せとして・・・・・。

私が通っているダンススタジオの、ある女性が言った。
今度生まれてくるときも女がいい。
女の方が楽しいことがたくさんありそうだし・・・・・。

私は、ロングカ−ディガンを着てショッピングモ−ルを歩きながら、
彼女の言葉を思い出す。
美しさを着て、幸せそうに歩く女たち、
私はひととき、彼女たちと同化して、
美しさを着る幸せをかみしめる。
男たちの知らない幸せがここにあると・・・・・。


2014年08月17日

「高野悦子」のこと

若い人は 高野悦子のことを知らないのかもしれない
ふり返ればすでに 遠い日のことだ

私がまだ10代の頃 
1969年 6月24日の未明に
高野悦子は自殺をした
鉄道自殺だった

彼女は私より少し年上で
当時 立命館大学文学部史学科の学生だった

彼女の本が出版された時 私は東京にいて
今はもう会えなくなってしまったMという友人のアパ−トで
彼女の話をしたことがある

昨年の秋
私はなぜか 彼女に会いたくなって
新潮文庫に収められている彼女の本を買った

当時ベストセラ−となった「二十歳の原点」

彼女は今も 私たちの社会の中に生きている

きのうの夜 私は 彼女を思い出して
家の近くのレストランで
レモンサワ−を飲みながら 彼女の本を読んでいたら
なぜか胸が 熱くなりすぎてしまった

俺も年をとったのかな ?

彼女の本の 
最後に掲載されている詩を載せる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

出発の日は雨がよい
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出た若芽がしっとりとぬれながら

そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく

大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう

近代社会の臭いのする その煙を
古木よ おまえは何と感じるか

原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう

原始林を暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小舟をうかべよう

衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう
   
小舟の幽(かす)かなうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう

そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう


2015年12月24日

ジェンダー アイデンティティー (Gender Identity)

私が通うサロン(もちろん真面目な)のエステティシャンは、
私の顔のマッサージをしながら、受容的なトーンで言う。
「翠流さんて、普通の男性と、ずいぶん違うみたい・・・・・」
私は、その言葉を聞きながら、二つの感情を抱く。
一つは、彼女に受け入れられているという安堵感。
もう一つは、今日もまた、
私はマジョリティーではないと、思わされるストレス。

私が所属しているボランティア団体の、まだ若いあの人は、
昨年の夏、私が、紫色の大きな花柄の、もちろんレーヨン素材の、
ウエストをつめた、流れるようなラインの(メンズの)アロハシャツを着ているのを見て、
驚いたように、しかし好意的に言った、
「翠流さんて、オシャレですね・・・。それって、どこで買ったんですか?」

アロハの季節が終われば、
やがて、ロングカーディガンの季節がやってくる。
私は、今年もまた、お気に入りの、メンズライクの、レディースの、
ロングカーディガンを着て、ショッピングモールを歩く。
今日は、ラウンドネックの下の薄手のタートルも、柄物のレディースだった。
先日私は、ある店の、メンズのコーナーに満足できなくて、
レディースのコーナーに行った。
昨年もそうだった。
被害妄想か否か定かではないが、
私に圧力をかけるように近づいてくる女性客。
しかし私は、心の中に幾ばくかの動揺を与えられても、
平然と、買い物を続けられるようになった。
それは、私に、新しく与えられた幾らかの解放と、長すぎる歳月を経ての開き直りと、
法務省が、人権擁護の主要課題に、マノリティーの人権擁護を掲げるようになったという、
時代の変化があるからだろう。
しかしもしも、私が女であったなら、
長すぎる抑圧の歳月はなかった。

私が常連となった、某レストラン。
その、なぜかもう1年以上、レディースデーをやっていないレストランの、
まだ若い女性店長は、笑みを浮かべながら私に言う。
「翠流さんて、ほんとうにオシャレですね。この前も、ほかの人と話してたんですよ・・・」
たとえ職業的な笑みであっても、私はその言葉に癒される。
しかし、時代を見れば女たちは、私より遥かに自由で、
消費の世界の一層の主役となった彼女たちと私の距離は、
むしろ、広がり続けていると思う。
女たちには、限りなく美を求める自由があり、
男たちには、それを阻む圧力がつきまとう。

私より遥か後方にいて、
美を剥奪された閉鎖空間に住み続ける男たち、
彼らは果たして、本当に、今の自分に満足しているのだろうか ?
彼らは実は、本質的には美を求めつつも、
不器用に、無理をして、既成の、「男らしさ」というジェンダーの呪縛の中に、
閉じ込められているのではないだろうか ?
呪縛を捨てれば、新しい幸せが来るというのに・・・・・。

私は自分が、マジョリティーであることを願う。

私たちは、本来、絶対性のないジェンダーの呪縛から自由のはずであって、
生まれ落ちた性別によって、求める世界が制限されてよいはずはない。
外部注入としてのジェンダーの呪縛は、
個性に対する不当な性的偏見として、理不尽なジェンダーハラスメントを引き起こす。
「男性として生まれた」という事実は、
何を求め、どう生きるかという、その人の本質を決定しない。
それは、インターセックスとして生まれても、女性として生まれても、同じである。
私たちには、自分らしく生きる自由が、あるはずなのである。


2017年06月26日

ジェンダー アイデンティティー (2)

女性だけに与えられる美しさに、
羨望・嫉妬を抱きながら、今日までを生きてきた。
小学校6年の時からである。
「区別」という名の「性差別」、
私は社会から「不当な性的偏見に基づくジェンダーハラスメント」を受けながら、
長い年月を生きてきたことになる。

私の女性美羨望は、
本能と同等であるかのような重さをもって、
私の人格の底辺に存在し続け、
私の人生を呪縛してきた。

私はもともと小心であるから、
女性用衣料を身に着けて街を歩くことなどできるはずはなく、
職場ならそれはなおさらのことであった。
しかし美しさを求める執念のような感情は、常に心に巣食っていて、
私は、男性用衣料品の中の、つまりは女性的美しさを剥奪された衣料品の中の、
しかしできるだけ美しく私に似合うものを探して、
デパートの紳士洋品売り場を歩き回っていた。

ある日、淡いパープル系のハイネックの、
スタイリッシュなメンズのセーターを着て職場に行った時、
管理職のNo.2の男がそれを見て、当惑の表情を浮かべたが、
私は、文句を言われれば、開き直るつもりだった。

またある時、仕事で遠方へ向かう3泊の旅行の準備会で、
中間管理職の男が、「男性はスーツにネクタイにしましょうか」などと言い出したので、
私は感情を抑えきれなくなって語気を強め、
「そんなことしたらハラスメントじゃないですか」などと発言したのであった。
私の勤務先は、同系列の職場の中では締め付けが弱かったこともあって、
彼の提案は潰れ、私は、旅行の初日、きれいなエンジ色のハイネックセーターと、
ライトグレーのブレザーを着ていったのであった。

たぶん、そういう私の雰囲気が言わせたのであろうが、
ある日、職場の若い女の子が私のところへ来て、
「翠流さんって、女になりたいんでしょう ・・・・・」などと言うのであった。

その彼女が2年後に私の職場を去り、
翌年であったか、私もまた新しい自由を得て職場を去り、
やがて私は、秋から春にかけて、既述の如く、
メンズライクではあるがレディースの、
ロングカーディガンを着て街を歩くようになった。

新しい自由は、私を「自分らしさに」連れていった。
しかし、家庭があれば、ダメだったでしょうね。妻や子供が許さない。
私みたいな人間は、家庭づくりができなくて、一人が自分に合っている。
淋しさには、もう慣れてしまった。

ところで私には、最近、改めて意識したことがある。
それは私の衣料品のこと ・・・・・
私が持っている衣料品の、約3分の1は「男性用」なのであるが、
残りの3分の2の、約半分は、オーダーのダンス用品、
つまりは、男性用でも女性用でもない、私好みの「翠流用」。
そして残りは ・・・「女性用」なのである。

いやいや、ご安心ください。
くり返しますが、私が持っているレディースは、メンズライクですから・・・・・。
以前、東京のあるところで出会った MtoFの素敵な人が、
心配する私に、電話で言った。
「だいじょうぶ。だって、翠流さんは、そんな、変な恰好してないじゃない・・・・・」

レディースのタートルネックは、メンズのラウンドネックの下のアクセント。
暑さを感じさせる今頃から、
普段も着るようになったバレエ系ダンスのレッスン用の、
既製のハーフパンツとガウチョは、
レディースでも、色は、黒か紺か紫。
数少ないメンズと違ってラインがお洒落に出ますが、
私が着れば、一般の人たちは、メンズかレディースかわからないでしょうね。

以前このブログで紹介した渡辺恒夫の本、
「脱男性の時代(アンドロジナスをめざす文明学)」を思い出す。
彼はその「第2章ー3」で、
ベンジャミン(H.Benjamin)の「性指向尺度(Sex Orientation Sukale)を次のように紹介していた。
私は自分のことを、その「T型」だと思っている。

ベンジャミン(H.Benjamin)の「性指向尺度(Sex Orientation Sukale)」

  0型:正常男性(ノーマル・メイル)
  T型:仮性異性装嗜好(シュード・トランスヴェスティズム)
       ・・・・・ 定期的女装にまで至らぬ軽度の女装趣味。含変身空想。
  U型:フェティシズム的異性装嗜好
       ・・・・・ 定期的女装。特に下着への興味と自慰時の使用。
  V型:真性異性装嗜好(トゥルー・トランスヴェスティズム)
       ・・・・・ 可能な限り女装。女装時に女性の意識を持つ二重人格。
  W型:非手術性変性症(ノン・サージカル・トランスセクシュアリズム)
       ・・・・・ 可能な限り女装。性転換を願望するが転換手術の必要は認められず。
  X型:中等度真性変性症
       ・・・・・ 可能な限り女性としての生活。
  Y型:重度真性変性症
       ・・・・・ 女性として生活。
                                       (以上)


2018年02月05日

女子を嫌う小中高男子

日本の社会に蔓延る(はびこる)女性優遇は、
女たちを特権階級化し、
彼女たちの持つ、したたかな自己中心性を、
是認、解放してきた。
大切なのは愛より自分。
大切なのは女たちの利益。

彼女たちは、その感情の機微と巧みな言葉の能力を、
女たちの優越のために使い、
男女関係のありかたを規定する。
したたかな自己中心性を携えて、
女だけに与えられた美への特権を享受しながら、
我が物顔で街を歩く女たち。
その手のひらの上で、下を向き、
ただ不器用に歩く男。

半年ほど前、
私は、ある場所で、ある女の、
凄まじい発言に出会った。
私がこういう活動をしていることなど、
全く知らない女である。
彼女は、臆することなど微塵もなく言った。

   今、女の子が生まれたら、みんなでおめでとう。
   でも男の子だったらそうじゃない。
   男の子だったら、みんなで、ご愁傷様 ・・・・・

凄まじすぎて、私は思わず笑ってしまう。
しかし彼女の言葉は、
今の社会の男と女の位置を、
非常によく表しているのではないかと思ったりする。

社会の変化は、様々な形をとって、
子供たちの世界にも影を落としているだろう。
昨年の6月、私は、インターネットの「excite.ニュース」で、
小中高生に現れている「少子化要因」を、危惧する記事を読んだ。
(URLと全文を、後半に掲載する。)

男性が直面する危機に、支援の言葉を贈ることなく、
鼻の下を長くして「光り輝く女性」発言を強調してしてきた安倍晋三は、
非婚・小子化・離婚の問題に、歯止めをかけることはできないだろう。
その原因はすでに、取り返しのつかない深さにまで浸潤を始めていると思う。
例えば、昨年報道された生涯未婚率、
男性 23.4%、女性 14.1%という数値の背景にあるのは、
男性の非正規雇用の問題だけではないだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
記事は次の通り。
URLと全文を記す、

【excite.ニュース】
  『女子はズルいと小中高男子に蔓延する「女子キライ」症』
     投信1 2017年6月8日 07時15分 (2017年9月4日 22時36分 更新)
   https://www.excite.co.jp/News/economy_g/20170608/Toushin_3419.html

【全文】
  ■ 少子化問題の根源はここまで低年齢化しているのか

    非正規雇用、保育園不足が解消されただけでは、少子化問題は解決しそうもない。
   見えないところで蔓延しつつある少子化要因をご存じだろうか。

  ■ 男子と女子の戦い今昔

    問いかけたのは、都内の学習塾に勤める女性。回答者は、小学6年生男子だ。

    「一番キライなモノ、何」
    「女子!」

    このやりとりを傍で聞いていた中学1年男子が、小6男子の肩にやさしく手をのせ、
   「気持ちはわかるけど、敵にだけは回すな」となぐさめるように声をかけた。

    2人とも、かなりの成績優秀者。テレでも、皮肉でもなく、どこまでもシリアスな
   光景であり、深刻さえただよわせていたという。

    小学校時代に、男子 vs. 女子の対立は昔もあった。大抵は男子が女子に暴力を 
   ふるった。

    男子が掃除をさぼる、デリカシーのない男子に、心を傷つけられて泣く女子という
   構図が通り相場だった。

  ■ 女子の横暴に泣く小学男子

    ところが最近は、デリカシーのない女子の横暴に泣く男子という構図が多い。

    「僕はちゃんと『山本さん』と呼んでいるのに、女子は『おい、ノボル』と呼び捨
   てにしてくる」と訴える。

    ちょうどそのとき、件の「山本さん」が通りかかった。

    「ノボル、教室で待ってるぞ」と力強く背中をたたいて教室内に走り去っていく。
   「山本さん」は、「ノボル」より背が高く、声も大きく歯切れもいい。

    おとなから見ると、微笑ましく映る光景でも、小学生にとっては憂鬱のタネ。
   ノボルの表情はくもり、眉間にはシワが寄る。こみ上げる不愉快さを持て余すように、
   ノロノロとノボルは教室に入っていった。

    女子小学生をもつ母親に、この様子を話してみた。

    「男子は弱いよ」という話は女子間に飛び交っているそうだが、「キライ」という
   のは聞いたことがないとのこと。異性ギライはどうやら、男子小学生だけに起きて
   いる症状のようだ。

  ■ 男子から見て女子のどこがズルいのか

    「女子のどこがキライなの?」
    「ルールを守れないとこ」

    男子同士には、これだけは言ってはいけない暗黙のルールがあり、ケンカして
   負けそうになっても、このルールは絶対に破らないのだそうだ。

    しかし、女子は負けそうになると何でも言う。ケンカの原因とは全く関係のない
   ことでも持ち出して攻めてくる。「だから、ケンカする気もなくなるんだ」と、口を
   尖らせた。

    「おまけに負けそうになると、陰で悪口言いまくって、関係のない女子まで巻き込
   む。こっちが忘れたころになって、集団でかかってくるんだ……、女子とはなるべく
   口をきかないようにしてる。女子はほんとにズルイよ」

    男子の言い分は、尽きることなく続く。女子のいない学校に行きたい一心で、男子
   私立中学校をめざして受験勉強にいそしむ毎日だと付け加えた。中学受験の動機に
   「女子のいない学校に行きたい」というのは、そう珍しいことはないそうだ。

    一方で無事、男子中学校に入学した男子からは、「女子がいないから、とりあえず
   『学校行きたくない』ってのはなくなったな」という感想が聞こえてくる。

  ■ 「オレ一生、女いなくていいよ」

    女子の話題で盛り上がる光景もないではない。男子校に通う高校生だ。ようやく
   健全な姿に出合えたようで、ホッとした気分になる。だが少し踏み込んでみると、
   耳を疑うような高校生活があった。

    「女に関心のあるフリをしていないと、同性愛と間違われるから女の話をしてる
   だけだよ。誘われてから断ると、カドが立つ。女はキライじゃないけど、好きでも
   ないし、めんどくさいってのはあるな」

    「それで困らない?」

    相手は、高校生。オトナの質問を向けてみる。

    「オレ一生女いなくていいよ。二次元の女で十分だもん」

    この男子高校生も、有名大学に多数の合格者を出す高偏差値私立高校に通っている。
   しかもジャニーズばりのイケメン。モテないはずはない。

    見えないところで、少子化問題の新たな原因は着実に浸潤しているようだ。


2018年07月29日

GSさんへの返信として: 曽野綾子「無名碑」紹介文

前回の記事「西日本豪雨関連(1)」にコメントをくださったGSさんの、
私への返信(7月26日 7:40)に、
「パ−ト(肉体労働)で働いています。忙しいです」という一節があり、
私は、その言葉に、
以前、ネットで読んだ、無名碑(曽野綾子)の紹介文を思い出していた。
私はこの小説を読んだわけではなく、
GSさんの言葉の背景を知るわけでもなく、
従って、はなはだ独りよがりの一文にはなるが、
紹介文には次のような一節があり、
心に残っていた。

  「娘を亡くし、妻の狂気に悩み、過酷な自然条件と闘い、ライフ・ラインの建設に
  立ち向かう土木技師の誠実な、孤独で生きる男の姿を描いた大作である。」

文中の、「誠実な、孤独で生きる男の姿」という一節に、
胸の熱くなる思いがする。
男性の誠実な生き方が、
自己中心的なフェミニズム運動や、
配慮が女性ばかりに傾斜する社会状況に翻弄され、
踏みにじられるような現実を感じている私には、
忘れらない一節であった。
紹介文を次に記す。

http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=100&p=1
《A-2ダム建設に挑む技術者たちの人間性を追求した作品(その2)》

  ダム便覧 曽野綾子 無名碑
   → 田子倉ダム[福島県] ダム便覧 一般社団法人 日本ダム協会
    →(下にスクロール)表の「テーマページ」最下段 
       ダムの書誌あれこれ(6)〜小説を読む[下]
        →《A-2ダム建設に挑む技術者たちの人間性を追求した作品(その2)》
【紹介文】
   曽野綾子の『無名碑』(講談社・昭和44年)は、土木技師三雲竜起が田子倉ダムを
  はじめ、名神高速道路、タイのアジア・ハイウェイ−の建設に挑んだ物語である。娘
  を亡くし、妻の狂気に悩み、過酷な自然条件と闘い、ライフ・ラインの建設に立ち向
  かう土木技師の誠実な、孤独で生きる男の姿を描いた大作である。本書のオビに「土
  木技師三雲竜起の造る巨大な碑にその名が刻まれることはない」とある。このことか
  ら『無名碑』の題名となったのだろう。施工業者の前田建設工業(株)の協力によっ
  て、著者は、只見川の田子倉ダム、名神高速道路、タイのランパ−チェンマイ・ハイ
  ウェイ−第2工区の現場まで足を運び、取材された。
                                    (以上)

2019年01月23日

配慮の2曲

先日、車を運転しながら、NHKのラジオ第一を聞いていたら、
珍しく、男性に心を傾けた歌がきこえてきた。
私は、この活動を始めて8年目になるが、
NHKの第一で、こういう経験をしたのは初めてなのである。
リスナーからのリクエストだったのかもしれないが、
そうではあっても、番組の担当者が、
多数の中からこの曲を、意識的に選んだ可能性もあるだろう、などと、
自嘲を含んだ期待を抱いてしまった。
男性にも、その辛さを受けとめる配慮の日が、
来なければならないはずなのである。

偶然かもしれないが、
配慮を感じさせた曲は、同日に二つ。
一つは、田久保真美という作詞家の詞に、杉本眞人が曲をつけて、
杉本と湯原昌幸が、ルービーブラザーズというユニット名で歌っている。
題名は、「涙は熱いんだな」。
私が何を言いたいのかは、曲を聴いていただければ、すぐにわかる。
動画のURLを、一つ紹介する。
   https://www.uta-net.com/movie/254112/
この動画の歌詞は一番だけであるが、
右側の関連動画の YBB182・・・・・ は全曲。

もう一つは、「さようなら」という曲。
谷川俊太郎の詩に、谷川賢作が曲をつけ、
DiVa という、現代詩を歌うバンドが演奏している。
ヴォーカルは高瀬麻里子、ピアノは谷川賢作、ベースは大坪寛彦。
詩は、幼い男の子の言葉で綴られる。
独りでは生きられない幼さなのに
男の子は、独りで行かなければならない
父母と別れ
桜並木の下を通り
いつも眺めている山を目印に
独りで行かなければならない
すぐに行かなければならない
なぜなのかは、わからないけれど・・・・・。

この曲の動画URLは次の通り。
   https://www.youtube.com/watch?v=PHSZ0kPQRRA
歌詞全文は、この記事の最後に記す。

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【歌詞全文】

◆ 涙は熱いんだな ・・・・・ 作詞:田久保真美  作曲:杉本眞人

  昭和を生きた親父おふくろに
  男は泣いちゃいけないと 言われて育った
  やせがまんしては 戦いつづけ
  それが男と強がっては
  俺なりに生きてきたけど

  久しぶりに俺は 泣いたんだ
  久しぶりに素直に 泣いたんだ
  生きているから 泣けるんだな
  涙は 熱いんだな

  このごろ空を見ては 思うこと
  お前のためにもう少し がんばりたいのさ
  泣きながら人は 生まれるように
  きっと泣くたび生まれ変わる
  何度でも生まれ変われる

  心だってきっと 洗えるんだ
  心だって涙で 洗えるんだ
  生きているのに 忘れてたよ
  涙は 熱いんだな

  久しぶりに俺は 泣いたんだ
  久しぶりに素直に 泣いたんだ
  哀しいときも 苦しくても
  涙は 熱いんだな

◆ さようなら ・・・・・ 作詞:谷川俊太郎  作曲:谷川賢作

  ぼくもういかなきゃなんない
  すぐにいかなきゃなんない
  どこへいくのかわからないけど
  さくらなみきのしたをとおって
  おおどおりをしんごうげわたって
  いつもながめてるやまをめじるしに
  ひとりでいかなきゃなんない
  すぐにいかなきゃなんない
  どうしてなのかしらないけど

  おかあさんごめんなさい
  おとうさんにやさしくしてあげて
  ぼくすききらいいわずになんでもたべる
  ほんもいまよりたくさんよむとおもう

  よるになればほしをみる
  ひるはいろんなひととはなしをする
  そしてきっといちばんすきなものをみつける
  みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる

  だからとおくにいてもさびしくないよ
  ぼくもういかなきゃなんない
  すぐいかなきゃなんない
  ひとりでいかなきゃなんない


2019年06月11日

ある知人への送信メール

「change.org」で、様々の署名活動が展開されているが、
今回は、その中の2つに関わって、
知人に送信したメールを掲載する。
署名の1つは、「#KuToo 職場でのヒール・パンプスの強制をなくしたい!」。
もう1つの署名については、
題名は、違和感があるので書かないが、
男性差別の解消に関わる署名である。

送信した知人は2人。
メール本文は、以下の通り。

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【知人Aへの送信メール】

「#KuToo 職場でのヒール・パンプスの強制をなくしたい!」
この署名活動、素晴らしい発信力と共感力ですね。
私は、次のメッセージに取り込まれて、署名をしてしまいました。

>もちろん、ヒールやパンプスが好きな方は引き続き履ける権利を。
>もしも男性でもヒールやパンプスを履きたい人がいるならば履ける権利を。
>女性が良くて男性がダメな理由もわかりませんよね。
>選択肢が男女同じになるような世の中を目指します!

「選択肢が男女同じになるような世の中」、なんて、
全く、涙してしまいますよね。

ところで、「Change.org」の別の場所に、
男性差別解消に関わって、次のようなコメントもありました。
「有光満人」さん、という人のコメントです。
これもまた教訓的で、
問題の本質を、良く捉えていると感じます。

> 女性は共感の質を持っています。すぐに同感することができます。しかし、男性 対
男性はライバルであり、敵対の関係が基本です。これが男性の生体の質なのです。なので、
男性に共感を期待するのは自然に反します。これは全世界共通です。弱い男性の救済のた
めには、男女を超えた深い愛によってのみ可能です。生まれ持った質を超えて、弱い男性
を救済しようという試みが成功するならば、間違いなく人類が次のステップに入ったとい
うことです。孤独な男性のための具体的なアクションを起こしてみてはどうでしょうか?
もちろん、女性の支援も得て。

「男女を超えた深い愛」って、たぶん、
フェミニズムでもなく、マスキュリズムでもない、と思うのですね。
しかし今の日本の状況を見ると、
当面は、(和製)フェミニズムの覇権主義的な拡大があって、
私が死んでから、フェミニズムとマスキュリズムの拮抗の時代があって、
       ( ・・・・・ もしかすると、そんなのないかもしれませんね。)
その間に現れる、様々な、滑稽な(いや、理不尽な)悲劇は、
「過渡期」という言葉によって、スルーされていくような気がしますね。

「男女を超えた深い愛」が実現する時代は、
来るのでしょうかね?

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【知人Bへの送信メール】

この場をお借りしての紹介になりますが、「Change.org」の、ある場所に、有光満人さ
んという人の、次のようなコメントがありました。男性同士に見られる「関係」の特徴、
競争関係・敵対関係・共感力の弱さ・支援の脆弱さ・・・等、男性の危機・孤独・弱さの救
済に必要な「関係」が、男性間ではいかに脆弱であるかを、有光さんは、よく捉えている
と思います。「男女を超えた深い愛」の時代は、来るのですかね?

有光満人さんのコメント(上記コメントと同じ)

女性は共感の質を持っています。すぐに同感することができます。しかし、男性 対 男性
はライバルであり、敵対の関係が基本です。これが男性の生体の質なのです。なので、男
性に共感を期待するのは自然に反します。これは全世界共通です。弱い男性の救済のため
には、男女を超えた深い愛によってのみ可能です。生まれ持った質を超えて、弱い男性を
救済しようという試みが成功するならば、間違いなく人類が次のステップに入ったという
ことです。孤独な男性のための具体的なアクションを起こしてみてはどうでしょうか?も
ちろん、女性の支援も得て。

(以上)

2019年08月15日

壊れてゆく男たち

情報が、瞬く間に拡散する時代にあって、
たとえば忌まわしい性犯罪の如く、
社会的に処刑されることが自明の罪を犯し、
男たちが、毎日のように、社会的に死んでゆく。

過去に於いてもそれは同じであって、
事件が社会の表に出なかっただけだと言う人もいるが、
昭和・平成・令和と生きてきた私の人生を振り返ると、
男たちの忌まわしい犯罪は、明らかに増えているように感じる。

罪を犯す人の中には、もしかすると、修復困難な病理を背負い、
再犯の道に踏み込む者もいるのかもしれないが、
むしろそれは稀であって、
多くの場合は、その成育や生活の過程で、
罪の回避への道が、あり得たのではないかと、
思ったりする。

犯罪という、他者への加害行為が、日夜報道される一方で、
自身への加害、或いは加害的な行為もまた、
男性に顕著なのであって、
いずれまた、具体的な数値と共に、記事にしたいと思っているが、
たとえば、自殺や、孤独死や、引きこもり、のような形をとって、
人生を、悲惨や孤独の裡に終える人たちもまた、
男性に多いのである。

しかしそれは、
それが「男性の」危機であるという理由によって、
社会から発せられる支援のメッセージは弱い。
危機は、女性より男性に顕著であるのに、
社会は、男性より女性に対して、手厚い配慮のメッセージを注ぐのである。
社会の上層部の男たちの多くは、女性に対する優遇配慮を好み、
ネットを通して発言可能な女性たちの中の、
和製フェミニズム運動家とでも括りたくなるような女たちは、
その自己中心性の故に、男性の危機を捨象して、
女性支援のメッセージばかりを発信する。
客観的事実と支援メッセージの間には乖離があり、
男性の危機や、命や、人生は、
軽視されているのである。

今回の記事には、「壊れてゆく男たち」という題をつけた。
その実例として男性犯罪の記事名を列挙しようと、
この1か月余りであろうか、
YAHOO! ニュースの対象記事を保存しておいたが、
既に、ネットから削除されたものが多く、ここに列挙できない。
しかし、日々のニュースから受ける生活実感として、
男性犯罪の頻発は、皆さんにも、
共通認識として、あるのではないだろうか。

「脱男性の時代」の著者、渡辺恒夫さんは、その著書の中で、
「21世紀は男性問題の世紀になる」と予見していた。
その彼の予見が見事に的中しているのが、今の日本と、
私は、今の男たちと、女たちを見ながら、感じている。
平均的には、筋力の強さや、大きい体躯を自然から与えられ、
強い存在、強くあるべき存在として、
守るべき性別役割、耐えるべき性別役割を担わされてきた男たちは、
実は、その強さとは裏腹の、脆さ、脆弱さを、
背負っているように、私は思う。