2013年06月14日

目覚めれば深夜

月曜の朝早く、インタ−ネットの、いつものペ-ジで、
気になる記事を見てしまって、  
疲労感が一日中、心の底に残っていた。
夜、モダンダンスのレッスンから帰ってきて、              
シャワ−を浴びようと思ったのに、
駐車場の車の中で、睡魔のために寝込んでしまって、
目覚めた時は、深夜の2時を回っていた。
記事の内容は、いつもの如く人権に関わることで、
発信者との、考え方の微妙なズレが、       
整理しきれない感情を生み出して、
私には強いストレスだった。

ここ数年、人権に関わる問題に、やや深入りするようになって、
いくつかの新しい知識を得たが、それはかえって、
「人権の世紀」と言われたはずの今の日本で、
実は、その言葉を裏切るような差別が進行していることを、
私に意識させることとなってしまった。

若い頃、差別問題の学習会に参加したとき、
ある講師が、差別撤廃運動の過程で現れる逆差別について語っていたが、
まさにその典型が、今の日本で、
男性に対する差別として、拡大しつつある現状を見て、
私は強い疲労を感じている。

若い頃の私は、
深刻な被差別感を経験したことがなく、
差別撤廃運動の過程で現れる、被差別者の暴力性を、       
自信を持って否定的に捉えていた。
その頃、私の職場のある人が、ある時職員室で、
確かもう外が暗くなっていた時刻に、
その暴力性の背後にある、差別されてきた人たちの心を、
弁護する発言をしたことがあった。
私は今、その強い語調を思い出し、    
被差別者の行動の暴力性を、
あの頃より肯定的な色彩を持って、
捉えるえるようになった自分を意識する。

しかしそれを肯定すれば、  
今の日本で日々拡大する逆差別もまた、   
差別撤廃運動の過程で現れる必然として、          
私自身が受け入れ、肯定せざるを得ないという、
滑稽で深刻な矛盾の中に、
足を踏み入れることにもなるのだろう。    

報復の連鎖を繰り返さないために、   
今の日本の、全国の男女共同参画部局が、その「美名」の通りに、     
男性に対する差別を生じさせることなく、
美しい共同参画の世界を、つり上げてくれることを願いたい。
しかし、もしも男女局が、この願いに応える存在であったのならば、        
3月28日に提示された内容のような、                      
「男女共同参画の視点からの防災・復興の取組指針(案)」は、           
存在しなかったはずなのである。                         
それを思うと、今日もまた、不安と、不信と、
そして、これからもまた、私がせざるを得ない努力と、それにつきまとう疲労を思い、
心が重くなるのである。

もう一つ、全国の男女共同参画部局に、改めて言っておきたいことがある。   
内閣府男女局の、個々の職員の方々との会話や、     
統一性は今も不足すると思われる「男女共同参画の視点からの防災・復興の取組指針」の、
特定の部分には、もうすでに、その一部はあるのだが、
私たちが「共同参画」の理想に近づくためには、
私たちは、人間を「男と女」に分けて論ずる「二項対立的視点」の不完全さを認識し、 
それを越えて、                                 
私たちの社会が、実に多様な人間、多様な感受性から成り立っているという認識を、
活動理念の中枢に、強固な柱として据える必要があると思う。  

性的マイノリティ−の人たち、                          
たとえば、性同一性障害の人たちに対する人権の尊重は、  
性別適合手術の合法化によって、一歩前進することとなった。
また、医師の帚木蓬生(ははきぎほうせい)は、小説「インタ−セックス」によって、
半陰陽の人たちの人権の問題を、私たちに提起した。
そういう、人権尊重の気運の広がりの中で、
全国の男女共同参画部局は、
「男女共同参画の視点からの防災・復興の取組指針」の最終ペ−ジ、         
「男女別統計の整備」に記された、二項対立的視点の不完全さ、       
そして、そこにある、人権軽視、人権無視の危険性を、
強く認識しなければならないと思う。
性的マイノリティ−の人たちに対する人権侵犯の回避だけではなく    
多様性を備える人間、多様な感受性の存在を改めて認識し、             
人間の、感受性のグラデ−ションの領域で生活するすべて人たちに対して、      
人権尊重の配慮はなされなければならない。                    
先入観、或いは、不当な性的偏見に基づく人権軽視、人権無視、人権侵犯は      
決してあってはならない。
posted by 翠流 at 04:19| Comment(4) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月26日

容貌差別

 6年前だったと思うが、ダンス(ソシアルではない)の発表会のとき、男性楽屋に、小学生の男の子の母親が居座って、私は着替えができなくて困ってしまった。男の子がいる手前、席を外してくれとも言い出しにくく、仕方がないので、私は、トイレに着替えに行ったのである。そうしたらそこに、東京からゲストで招かれた男性がいて、既に着替えを始めていた。彼はクラシックバレエを踊る予定のダンサ−であったが、彼も私も大変迷惑をした。男性楽屋に居座った女性は、全くデリカシ−のない女で、男の子に向かって、「男は顔じゃない、男は顔じゃない・・・」などと、何回も何回も繰り返しているのである。その発言のジェンダ−ハラスメント。私が男の子なら、生涯、母親に対する怨恨がつきまとうだろう。 
 ところで、2年前、新聞に嬉しい記事が載った。男性の容貌に対する差別が、裁判で解消されたというニュ−スである。勝訴したのは37歳の男性。彼は21歳のとき「高温で溶けた金属を顔や首、上半身に浴び、瀕死の重傷を負った」が、男性であるが故に、障害等級で顕著な差別を受けていたのである。しかし彼は裁判で勝訴した。厚生労働省はこれをきっかけに、障害等級の見直しに着手し、男性差別は解消された。男性の名前はわからないから、今回もまた、X(エックス)さんでいいですか? Xさん、裁判に勝てて、本当に良かったですね。女性優遇ばかりが目立つ今の日本で、心安らぐ嬉しいニュ−ス。時には幸(さち)のある子のように・・・・・・。裁判で代理人を務めたのは、糸瀬美保という弁護士だった。「美保」さんだから女性なのかな? 弁護士さんが女性だったから、なぜかよけいに感動してしまった。もしかすると、これが本来の、あるべき姿の「男女共同参画社会」?

その新聞記事は次の通り。

【2011年7月27日 読売東京 朝刊 生活B 12版 22頁】
             医療ルネッサンス No5130 見た目の悩み 「補償の男女差 解消へ尽力」

 今年、「見た目問題」を巡り、国の制度が大きく変わった。仕事中の事故で大やけどを負ったある男性の訴えが実を結んだ。
 2010年5月27日、東京地裁で言い渡された民事訴訟の判決。労働災害で顔に傷が残った場合、補償の程度を決める障害等級が、男性は女性より低く設定されている国の基準は「法の下の平等を定めた憲法に違反する」との判断だった。男女差に納得いかなかった京都府内の男性(37)が、国を相手取って起こした裁判。国は控訴せず、判決は確定した。
 男性は21歳だった1995年、勤務していた工場で、高温で溶けた金属を顔や首、上半身に浴び、瀕死の重傷を負った。命を取り留めた後も、重いやけどを治療するため。皮膚移植などの手術やリハビリを繰り返した。事故の恐怖がよみがえるPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状にも苦しめられた。「楽しいはずの20代を治療だけに費やした」という。
 これ以上、治療による改善は望めないというところまで来た29歳の時、主治医がつぶやいた言葉が、制度に疑問を持つきっかけになった。「こんなになったというのに、この障害等級は低すぎる」。
 労災保険法の施行規則は、障害が重い順に1〜14級に分類。顔などに重い傷が残ると、女性は7級となり、平均賃金の131日分が年金として毎年支給されるが、男性は格段に低い12級で、156日分の一時金のみとなっていた。女性のほうが受ける制約大きいと見なされていたためだ。
 「男だってつらいのは同じ。仕事を見つけるためにすごく苦労したし、女性に対して消極的になってしまい、彼女をつくる気持ちにもなれなかった」と、男性は訴える。
 見た目だけでなく、体やのどのやけどの後遺症で首が動かしにくかったり、せき込みやすかったりすることもあり、正社員の仕事はなかなかなく、アルバイトでしのいだ時期もあった。やけどの痕を隠すため、人前では夏でも長袖で過ごす。「今頃は結婚して子どももいて、家族で海や温泉に行ったり、楽しく暮らしていたかもしれないのに」。
 厚生労働省は、この判決を機に障害等級の見直しに着手。今年2月から格差は撤廃され、男女いずれも7級に統一された。
 「だれかが勇気を持って声を上げなければ、制度は変わらなかったでしょう」。裁判で代理人を務めた糸瀬美保弁護士は語る。
 男性は「裁判はつらい体験を思い出さなければならない苦しい作業だった。でも、逃げないでよかった」と振り返った。
posted by 翠流 at 00:50| Comment(5) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月09日

手紙 ・・・ 東北地方の、ある人へ

主に、「災害対応」に関わる質問と発言のために、  
東北地方の、ある女性団体に電話をした。  
あいにく、不在であったが、                             
その日の夜、私の携帯に、代表者と思われる女性から電話があった。   
もとより、対立的な位置関係を意識しながら、かけた電話であったが、     
受話器の向こうの彼女からは、   
私と共通する問題意識や認識も感じられた。   

ここに、彼女に宛てた手紙を記す。                          

(追記:10月23日)・・・ 文中の、投稿原稿『「男女共同参画」に翻弄される日々』の、後半【2】の、
           推敲に手間取ってしまい、この手紙の発送は、10月23日となった。        

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                               平成25年10月23日  
○ ○ ○ ○ 様                
                                ( 翠 流 )  
もうお忘れになったかもしれませんが、                        
10月2日には、ご多忙にもかかわらずお電話をくださり、ありがとうございました。    
私が、自分の思いを未整理の状態で、お話を受けてしまったために、           
こちらから電話をさせていただきました趣旨が、                    
伝わりにくかったのではないかと思われます。申し訳ありません。            
私がそちらにアクセスしました契機は、                        
主に、「災害対応」に関わる質問と発言にありましたが、                 
私の立脚点や、問題意識等につきましては、                      
今ここで申し述べるより、むしろ、                          
間接的にはなりますが、私が、地方の、ある小さな団体の季刊誌に投稿した、       
『「男女共同参画」に翻弄される日々』(前半【1】投稿済み、後半【2】は今月投稿予定)と、
今年の5月に立ち上げたブログの記事から感じ取っていただいた方が、          
正しく伝わるように思われますので、                         
はなはだ身勝手ではありますが、前者につきましては、                 
今月投稿予定の後半の原稿も含めて、コピ−を同封させていただきます。         
ブログにつきましては、URLは次の通りです。                    
     http://mzkisaragigid.seesaa.net/              
私のハンドルネ−ムは「翠流」、                            
ブログ名は「男性差別とたたかう者のブログ」ですが、                 
URLでないと、ブログにはたどり着きにくいと思います。               
電話では「記事をプリントアウトして同封」とお伝えいたしましたが、          
勝手ながら、この手紙の最後に、                           
掲載記事のタイトルを記すだけにさせていただくことにいたしました。          
もしも時間の許す時あって、                             
私のブログにアクセスしていただけることがあれば、幸いと存じます。          

もとより、○○様とは対立的な位置にいる、という認識のもとに、            
お電話をさせていただいた私ではありますが、                     
電話でのお話に、私と共通する問題意識や認識も感じられ、              
今は、出会いに感謝です。                              
たとえば私は、                                   
人間を「男性と女性」の2つに分けて、その違いを対立的に論ずる、「二項対立」的な視点には、
以前から、強い違和感を感じてきました。                       
それは、私の持ついくつかの感受性と、社会通念、社会常識との軋轢によって生ずる、   
強い被差別感、或いは疎外感に由来するものと思われますが、              
人間の感受性に多様性が存在することは事実であって、                
たとえばLGBTの人たちのような個性だけではなく、                 
性別で単純にカテゴライズできないグラデ−ションの領域が人間の感受性にはある、 
という認識に立って、「災害対応」に限らず、すべての場面で、              
人権尊重への配慮がなされなければならないと考えています。              
ちなみに、私の趣味はモダンダンス(モダンバレエ)、                  
自分が「男性」であるが故に、                            
長い間、心の底に封印しなければならなかった本当の自分を、              
あることを契機に、おびえながらも引き出して、                    
すでに18年になろうとしています。                          

ところで、購入いたしました「女たちが動く」につきましては、             
この手紙を出してからと思い、まだ、あえて目を通しておりません。           
後日、改めて、具体的な疑問や意見を携えて、○○様にアクセスすることある時は、    
よろしくお願いいたします。                             
なお、私は、3月28日に内閣府から提示された「案」が修正されて、5月31日に公開された
「男女共同参画の視点からの防災・復興の取組指針」の、「解説・事例集」に掲載された団体 
「○○○○」の活動について、9月26日に、○○市役所に電話をして、男女共同参画担当の○○
さんと、1時間程度でしたか、話をさせていただいておりますので申し添えます。  

○○様からいただいたお電話によれば、                        
日々、被災地をめぐり、東奔西走のご様子、                      
おからだに留意され、活動に実りあることを、お祈りいたします。            
返信ありがとうございました。                            

【ブログ掲載記事】 (10月23日現在)                      

裏切りの男女共同参画 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5月29日
防災・復興の取組指針 ・・・ 案から指針へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6月 8日
目覚めれば深夜 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6月14日
男性更衣室 (1) ・・・ 退会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6月16日
あの人は今どこに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6月22日
男性更衣室 (2) ・・・ 鈍感な支店長 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6月23日
全国の男女共同参画へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7月 9日
ときには幸(さち)のある子のように ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7月26日  
男性更衣室 (3) ・・・ やり場のない思い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7月31日
内閣府と全国の防災担当部局へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8月 3日
トイレの男性差別 (1) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8月12日
男性の自殺 (1) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8月21日
国立教育政策研究所へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8月28日
内閣府男女共同参画局(調査課)へ ・・・(その1)・・・・・・・・・・・・・・・9月 1日
男女別統計の不当な扱い(その1)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9月 4日
男女別統計の不当な扱い(その2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9月15日
百万本のバラ:加藤登紀子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9月18日
男女別統計の不当な扱い(その3)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9月26日  
内閣府男女共同参画局(調査課)へ ・・・(その2)・・・・・・・・・・・・・・・10月 4日
手紙 ・・・ 東北地方の、ある人へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10月 9日
投稿原稿-1 ・・・ 「男女共同参画」に翻弄される日々【1】・・・・・・・・・10月13日      
投稿原稿-2 ・・・ 「男女共同参画」に翻弄される日々【2】・・・・・・・・・10月22日   
posted by 翠流 at 15:23| Comment(0) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月28日

内閣府 男女共同参画局の ある人へ


                                平成25年12月26日
内閣府男女共同参画局 苦情・意見担当 ○○○ 様
                                 ( 翠 流 )
或いはもう、お忘れかもしれませんが、
11月28日に電話でお話しさせていただきました件、
私が、「男女共同参画に翻弄される日々」と題して、
今年の8月と11月の2回に分けて、
地方のある団体の季刊誌に投稿した文章を、
送付させていただきます。

これを送らせていただく最大の理由は、
内閣府男女共同参画局の施策に対する不信感、
そして、それを含め、社会生活の中で、
男性であるが故に与えられる人権の軽視、無視、ストレス、被差別感を、
内閣府男女共同参画局にお伝えしたいことにあります。

私は、
同封いたしました「男女共同参画に翻弄される日々」に綴ったような、
男性に対する人権無視、人権軽視の施策を、
「男女共同参画」局という「美名」の部局が、
まさか行っているなどとは、全く思っていませんでした。

男性と女性が、お互いの人権を尊重し合い、信頼関係で結ばれる社会、
そういう、理想社会を目指しているはずの、内閣府「男女共同参画局」が、
あたかも、自己本位のフェミニズム運動であるかの如き男性軽視の、
いやむしろ、男性無視と叫びたくなるような施策さえも行っていた。
それはまさに「裏切りの男女共同参画」。
私は非常にショックでした。

私が強い関心を持ってきた「災害対応」につきましては、
ようやく今年から、外部からの働きかけがあって、
やや改善の兆しも見えるようになりました。
しかしたとえば、第三次男女共同参画基本計画第10分野の、
「生涯を通じた女性の健康支援」に見られる「男性軽視」の施策を、
なぜ「男女共同参画」局という「美名」の部局が行っているのでしょう。
                                 
健康支援で「性差」を問題にするのならば、
「明白な性差」である「男性の短命」に関わる問題を、
男女局は、なぜ、現実に即して取り上げないのでしょう。
たとえば、国民の死亡原因の第1位である悪性新生物の、1位から4位までを占める男性のガン、
肺ガン、胃ガン、大腸ガン、肝臓ガン、(注参照)
そして、毎年毎年、例外なく、明らかに男性に多い自殺の問題を、
男女局はどう捉えてきたのでしょう。
自ら死を選ぶという、その深刻な問題について、
男女局は、第3分野に、ただ、「自殺対策強化月間広報啓発経費」を計上するだけでよかったの
でしょうか? 
女性の健康支援ついては、第10分野に、あのような手厚い配慮があるというのに・・・・・。

  (注) 第三次男女共同参画基本計画が閣議決定(H22)される前の5年間(H17〜21)
     の統計資料(下記)による。
         ・・・・・ 厚生労働省.統計情報・白書.各種統計調査.厚生労働統計一覧.
           人口動態調査.統計表一覧.確定数.死亡.年次.2012(H24)

重大な問題は、ほかにもありました。それは、
既に政治の表舞台に明確な姿を現した、
「女性優遇」、つまりは「男性差別」を孕むポジティブ・アクション。
実力があるのに「男性」だから不合格にさせられたり、昇格できなかったり、
実力が不足していても「女性」だから合格になったり、昇格させてもらえたり・・・・・
そういう「不正」が行われてよいのでしょうか?
「不正」が合法であるかの如き「詭弁」が、まかり通る社会にしてよいのでしょうか?
教育の機会均等が保証されている今の日本にあって、
守られるべきは、機会平等、そして平等な選考であって、
女性に「ゲタ」をはかせる採用や昇格は、
「罪」として報道される不正入試と同じではないでしょうか?

同封いたしました「男女共同参画に翻弄される日々」には、
私が男性の人権問題に取り組むようになった契機と、
今まで関心を持ってきた男女局の施策、つまり上記の、
「災害対応」「健康支援」「ポジティブ・アクション」についての、
私の思いが綴られています。
しかし、最近になって学びを始めた男女局の別の施策についても、
同じような、男性軽視・男性無視が確かに存在すると、
私は認識し始めているのです。

もしかすると、第三次男女共同参画基本計画それ自体、その全体が、
男女平等の実現を逸脱した、女性優遇、女権拡大のための施策になっているのではないか?
内閣府男女共同参画局は、「男女共同参画」という「美名」を使いながら、
実は、その「美名」で「本質」を隠し、
自己本位のフェミニズム運動を行っているのではないか?
そういう疑惑が、確信に近づくのを感じるのです。

昔、差別問題の学習会に参加したとき、
ある講師が、「差別撤廃運動の過程で現れる逆差別」について語るのを、
聞いたことがありました。
そして、まさにその「逆差別」の典型が、
現在の内閣府男女共同参画局の施策にあるように思われるのです。

日本の社会に、女性差別の歴史があったとはいえ、
その差別撤廃運動の過程で現れる「男性に対する逆差別」を、
許容してよいのでしょうか?
しかもそこには、
差別の加害者ではない若い世代の男性に対する加害性までもが存在するのです。

「逆差別」は、新たな怨恨を生み、怨恨は更に、新たな報復を生みます。
そのような報復の連鎖を、
「信頼関係で結ばれる社会」を目指すべき内閣府男女共同参画局が、
つくり出してよいのでしょうか?

併せて、人間の多様性と人権尊重の問題について、
私は、「男女共同参画に翻弄される日々」の中で触れました。
男女局は、「女性の視点」「男性の視点」「性差」というような、
人間を「男性」と「女性」に分け、
それを二項対立的に論ずる「単純化した視点」を好みます。
しかしたとえば、「男性」である私の中にも、
「女性の視点」として括られる感受性、視点が存在します。
しかし私は「男性」であるが故に、その視点から疎外され、差別されるのです。
そしてその典型が、3月に公開された「男女共同参画の視点からの防災・復興の取組指針(案)」でした。

人間には、「男性は」、「女性は」、というような、二項対立的な視点では、
説明しきれない感受性の領域が存在します。
性的マイノリティ−の人たちだけではありません。
「男性」と「女性」の間には、感受性のグラデ−ションの領域が存在するのです。
そして、二項対立的視点は、その、グラデ−ションの領域の、
「男性」或いは「女性」の典型から遠い位置にいる人たちを疎外し、
人権を、無視・軽視・侵害するのです。

性的マイノリティ−の人たちに対する人権尊重の視点は、
男女局にはあると思っています。
しかし、そうではない人たちの、感受性のグラデ−ションの領域に対する配慮は、
たとえば、3月に公開された「男女共同参画の視点からの防災・復興の取組指針(案)」には、
完全に欠落、或いは圧倒的に不足していたのでした。

日本国憲法第14条・第13条、そして、男女共同参画社会基本法第3条を引き合いに出すまでもなく、
すべての人間には、等しく尊重されるべき人権があるはずでしょう。
そういう、はなはだ基本的な認識、人権尊重の原点にかえって、
差別のない施策を行ってください。
「男女共同参画」という「美名」と乖離しない、
すべての人に配慮した、人権尊重の施策を行ってください。
強く要望します。

【追記】 尚、男女局のHPに掲載されている「男女共同参画社会の形成の促進に関する
  施策についての苦情内容等」に関わって、何点か、おたずねしたいことがあります。
  年明けにお電話させていただきますので、宜しくお願い申し上げます。 
posted by 翠流 at 22:41| Comment(14) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月07日

xavi 様 (1) ・・・ 男性に対する不当な性別観

8月24日の記事、「カフェ・ド・クリエ」に、「xavi 様」からコメントをいただいた。
その返信の形で、記事を掲載する。

 コメントありがとうございます。xavi 様がおっしゃるように、「男性は我慢をしなけれ
ばならない」という風潮が、社会には根強く存在し、様々の男性差別の原因になっている
と思います。「男のくせに・・・・・」という言い回しは、表面的には、あまり聞かなくなりま
したが、実質的には、陰に陽に、男性を呪縛し続けていると思います。「男性は孤独に耐
えなければならない」「強くなければならない」というような性別観は、男性の自殺が、
毎年、例外なく、女性より明らかに多いという「明白な性差」の原因の一つであるとして、
記事「男性の自殺」の中で取り上げましたが、自殺にまでは至らない日常にあっても、男
性に対して不当な「我慢」を強いる性別観は広く存在し、それを受け入れることが男性の
義務、或いは美徳であるかのような価値観を持つ男や女の存在が、平等な人権尊重の社会
をつくるための、大きな障壁になっていると思います。

 特に、そういう性別観を持つ男たちについて言えば、彼らは、自分が男性差別の加害
者であるという認識を持たないか、或いは、持つことがあっても、女性優遇の性別観の
故にそれを否定し、抑制します。そして、他の男性に対しても、それを「男らしさ」と
して要求するのです。ですから、男性に対する「人権軽視」「人権無視」は、なくなる
ことがないのです。そして、彼らが存在するために、庇護の中で、男性差別に気づかな
い女たち、或いは、気づいていても、庇護の上に「アグラ」をかくようにして、女性優
遇が当然の権利であるかの如く主張する、自己中心の女たちが増えていくのです。

 私がこのブログで取り上げてきた「災害対応」の問題であるにしろ、「自殺対策」であ
るにしろ、第三次男女共同参画基本計画の「健康支援」の問題であるにしろ、「女性専用
車両問題」であるにしろ、すべてそうだと思います。施策を考える過程のどこかで、必
ず、男性に対する不当な性別観が現れ、それが、人権軽視・人権無視を出現させている
のです。男性は「我慢」をしなければならない。嫌だと思っても、人権が軽視されても、
無視されても、我慢するのが男としての当然の義務だ、美徳だ、というような性別観 。
そして、その不当性、男性に対する人権軽視・人権無視に気づかない女たち、或いは気
づいても、それを、自分本位の理屈によって正当化しようとする女たち、更にまた、そ
れを視野の外側に押しやり、唯々、女性のためにだけに行動しようとする女たち。要す
るに、「全ての人に対する人権尊重の視点」が欠落しているのです。自分達の利益しか
考えないフェミニズム運動の如き視点。「初めに女性優先・女性優遇の結論ありき」で、
男性の人権など全く眼中にないような女たち、そして、それを是認・擁護する男たちが
いるのです。

 たとえばそれを、「災害対応」について、このブログの最初の記事、「裏切りの男女共
同参画」等で取り上げた「男女共同参画の視点からの防災・復興の取組指針(案)」に
ついて振り返れば、指針案に多大な影響を与えたと思われる、女性団体の内閣府に対す
る働きかけが、既に、H23年11月にニュ−スとして流れ、内閣府の中央防災会議は、そ
れを、男性に対する人権無視のままに受け入れた、と私は捉えています。それがH24年
9月の「防災基本計画」の修正だと思います。そして、その考え方をそのまま、内閣府
男女共同参画局は、「指針(案)」の、たとえば「避難所の開設」のような項目の中に、
男性に対する人権無視のままに挿入したのです(H25年3月)。この一連の流れの中で、
もちろん男性も関わっていたでしょう、しかし彼らは、恐らくは、上述の性別観の呪縛
の中で発言し、行動したと思います。しかし、内閣府男女局には、たとえば、H23年12
月に、電話でお話をさせていただいたAさんのような方もいらっしゃった。彼は、恐ら
くは、男女双方の人権を尊重する視点で発言をしてくださったはずだと、私は推測しま
す。しかしそれは、指針案の、基本的な視点に関わる抽象的部分では、文章として反映
されていても、「避難所の開設」のような具体的部分では、全く反映されていなかったの
です。そしてそれは、結局、上述のような、男性に対する不当な性別観の呪縛と、「初め
に女性優先・女性優遇の結論ありき」の、内閣府男女共同参画局の、自己本位のフェミ
ニズム的体質に原因があると思うのです。

 実施年度が何時であるのか、記憶が定かでないのですが、そう遠くないうちに、確か
福島県で、災害対応をめぐる国際会議が開かれるというニュ−スを聞いたことがありま
す。その会議の中で、もしかすると、男性に対する人権軽視・人権無視の施策が、自己
本位のフェミニズム運動の国際的な流れの中で、認知されてしまうのではないかと、実
は私は、強い不安を抱いています。男性にも人権はあるのです。男性の人権も守ってほ
しいと、そういう発言を、私は、その国際会議の、壇上に立って、したいのです。人権
は、女性だけにあるのではないのです。


posted by 翠流 at 01:03| Comment(8) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月14日

「女に生まれたかった男」 様 (1) ・・・ 男女共同参画の欺瞞

 記事「ファミマ・レディ−スデ−(2)経過報告」のコメント欄で、
「女に生まれたかった男」様のブログから、次の記事を紹介いただいた。

  「政府「男女共同参画」の欺瞞性」
  http://danjyo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-f7f1.html

この記事に対する私のコメントを、ここにも掲載する。

 記事の紹介、ありがとうございました。すでに私もブログで発言をしてきましたように、
内閣府男女共同参画局は、「初めに、女性優先・女性優遇の結論ありき」の男性差別の部局
だと、今までの関わりを通して、強く感じています。「男女共同参画」という美しい言葉
を使いながらも、そして、「男女の人権の尊重」という、男女共同参画社会基本法第3条
を擁しながらも、実際には、男女局自身が、それに抵触する男性差別の施策を行っている
のです。内閣府男女局は、本来、憲法第14条の直下にあり、それを遵守すべき位置にあ
ると考えますが、国が、その部局に対して、男性差別の施策を容認している現実があると
思います。

 推測にはなりますが、恐らくは、このような実態の背後に、知的レベルの高い、非常に
自己中心的なフェミニストの存在があると思います。彼女たちはたぶん、世界のフェミニ
ズム運動の学びの中から、男女平等実現の域を逸脱した、女権拡大のための有効な手法を
選択し、政治を含め、日本の社会の中に、巧みに働きかけているように感じます。そして、
例えばその延長線上に、安倍晋三の発言がある、という見方ができると思います。彼は、
男女共同参画社会基本法第2条(積極的改善措置:ポジティブ・アクション)を、詭弁を
弄しながら女性優遇正当化のために巧みに使い、「光り輝く女性発言」と共に、男性差別
の施策を、合法であるかのように推進しています。

 記事の中で取り上げられている「各分野の男女の地位の平等感調査の項目」も、結局は
このような視点のもとで 設定されたのだろうと推測します。『「消費における男性差別」
を訴えようにも、項目の中に適切な選択肢がない』というご指摘、私の位置から見ても、
ショッビングモ−ルであるにしろデパ−トであるにしろ、歩いてみればそこには、女性優
遇が増幅し続ける女性の空間があり、羨望・嫉妬・疎外感を禁じ得ませんが、男女局の彼
女らにとっては、そんな男性の感情はどうでもよいこと、というよりはむしろ、その空間
を女性優遇のままに、いや、今よりも一層、女性優遇を膨張させる空間として保持したい
という思いがあるのではないかと思ったりもするのです。

 記事の後半で取り上げられている「平成12年度の調査」で、『「女性のほうが優遇され
ている」という選択肢を選んだ男性に、「女性の人権が尊重されていないと感じるのはど
んな時か」と尋ねる』の件、ひどいですね。ところが、女性優遇を推進し続ける、特に女
たちの発言には、類似のパタ−ンが多いと、最近私は、強く感じるようになっています。
要するに、自分たちの利益にならないこと、不利益になることからは、目をそらす方向に、
そして、それがあたかも正当であるかの如き論法を使いながら、自分たちの、自己本位の
利益を誘導する方向に発言をするのです。全く、そのしたたかな自己中心性との出会いに
は、あきれる思いを越える感がありますが、様々の女性優遇が膨張する今の日本にあって、
巧みにそれを推進し続ける自己本位のフェミニストたち。そしてそれを擁護する位置で、
女性優遇のポジティブ・アクションを加速させる安倍晋三。或いは、女性ばかりをタ−ゲ
ットとして、女性ばかりの幸せ空間を膨張させる女性優遇営業戦略。そして、男性の痴漢
冤罪被害対策には全く目を向けることなく、女性専用車両ばかりを走らせる鉄道会社の男
性差別。更に、女性優遇を受け入れるのが 男性の当然の義務・美徳であるかの如き性別
観の男たちの存在と、その、男性に対する加害性を含めて、大変な時代になっていると思
います。めざすべきは、平等な人権尊重の社会、差別のない社会、人間の多様性をふまえ
た、最大多数の最大幸福の実現のはずと思うのですが・・・・・。

 ブログへのお誘い、ありがとうございました。


posted by 翠流 at 00:10| Comment(2) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月27日

山田昌弘さん(中央大学教授)の言葉 【その1】

このブログの記事「ファミマ・レディ−スデ−(2)」のコメント欄で、ある人から、
ワレン・ファレルの「男性権力の神話」(久米泰介訳.作品社)を、紹介していただいた。
400ペ−ジに渡る本で、読書力のない私にしてみれば、
読み終わる日がいつになるか心許ないが、
冒頭の、山田昌弘さん(中央大学教授)の推薦文に、次のような一節があり、
私の問題意識を、的確に代弁してくださっているように思われた。

  「なぜ女性のつらさは問題にされるのに、
          男性の生きづらさは問題にされないのだろう。」
                        (中央大学教授:山田昌弘)

山田さんのこの一節と共通する思いは、
たとえばこのブログでは、次のように表現してきた。

  しかし自殺者に男性が多いことは、厳然たる事実であって、
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   自殺者の男女比が、もしも逆であったら、
   日本中が大騒ぎになっているような気もする。
   女性団体はたぶん、その現実を放置しないだろう。
   保護を求める女性たち、保護を受け入れられる女性たち、
   しかし保護を求めることができずに、
   「男性」であることを背負いながら、
   孤独のうちに死んでいく男たちがいる。      【記事「男性の自殺(1)】

内閣府の自殺対策推進室が、ホ−ムペ−ジに掲載した「自殺統計の分析」という「特集」を、
私は、昨年の10月に見た。
対象年度は、「自殺死亡率が急上昇前の平成9年から直近の24年までの間」、とある。
その大部分は、男性の自殺、特に経済・生活問題を原因とする自殺の急増が主因となって、
年間自殺者数が3万人を超えた時期(H10〜H23)である。
ところが自殺対策推進室は、この「特集」の中で、
男性の自殺の実態を表現しなかった。
男女差について述べたのは、差の小さい「家庭問題」だけなのである。
          (自殺の原因別男女比は、【記事「男性の自殺(3)(4)】を参照)
私はこの件に違和感を感じ、
昨年の10月31日に、内閣府自殺対策推進室に問い合わせの電話を入れた。
電話を受けた担当の男性は、その理由を二つあげた。
一つは「男性に注目した考察を入れると焦点がぼける」
もう一つは「時間がなかった」であった。

しかし私の違和感は消えない。
「特集」に、なぜ、男性の自殺の実態を書かなかったのか・・・・・。
それは「焦点」の一つとすべき、重要な現実だったのではないか・・・・・。
たとえば次のデ−タが示すように。

   (原因・動機)  年間自殺者数(H20〜H24)   男女比 【男性:女性】 
   「経済・生活問題」  5,219 〜 8,377    【 8.3 :1 】〜【 10.3:1 】
   「勤務問題」     2,412 〜 2,689    【 6.9 :1 】〜【 8.8:1 】

もっとも、平成22年の「自殺総合対策パンフレット」には、
自殺者総数の男女差を示すグラフは記されている。
しかしだからといって、それは、「特集」で略してよい現実ではなく、
むしろ逆に、その実態を詳しく顕在化させ、
更に深く、男性の自殺に対する対策に踏み込むべきだったのではないか。

「特集」を読んで私は思う。
もしかすると、内閣府自殺対策推進室の人たちの中には、
彼らが意識するしないに関わらず、
「男性の困難はなるべく強調しないように・・・・・」という、
不当な性別観に基づく、不当な配慮があったのではないか・・・・・?

似たような事例がほかにもあった。
たとえば「男女共同参画白書・平成24年全体版」に記された、下記のような「被災者の自殺デ−タ」は、
「白書・概要版」では削除された。
「心の健康状況」を示す4項目のうち、削除されたのは、この1項目だけであった。
昨年の11月に、その理由を問い合わせた私に対して、
内閣府男女共同参画局の担当者は、次の三つの理由をあげた。
    @ ペ−ジ数に制限がある。  A ほかに重要なことがある。
    B 全国の男女比と大差はない。
しかし私は、この理由を納得できない。

   〖東日本大震災に関連する自殺者数の男女別の割合〗
                       男女共同参画白書・平成24年全体版
         本編・第1部・特集・第2節(被災者の状況)・5(心の健康状況)
                          女性    男性    計   
   震災関連自殺者数(H23年6月〜24年2月)   24.6%  75.4%  100%  
   全国の自殺者数(平成23年)         31.6%  68.4%  100% 
                       【記事「岩手日報に対する要望書」】

私の知人に、ある相談活動に従事する男性がいる。
ボランティアではあるが、
彼は、活動を始めた頃、私に言った。
「俺は、女性から相談を受けると、丁寧に話しを聴き、親切に対応するが、男性から相談
を受けると、『おまえは男なんだから自分でやってみろ』と思ってしまう」と・・・・・。
私は、婉曲に彼を批判した。
彼は、根はいい男性であるから、今はそのような対応はしていないようだ。
しかし彼と話しをしていると、
類似の性別観が随所に現れる。
今、彼と私の交流は途絶えている。


posted by 翠流 at 01:00| Comment(1) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月04日

山田昌弘さんの言葉 【その2】

前回の記事では、
ワレン・ファレルの本「男性権力の神話(久米泰介訳.作品社)」に寄せた山田昌弘さんの
推薦文の中から、
冒頭の一節を引用した。
今回は、その全文を、この記事の最後に掲載する。

山田さんの指摘のような、
「女性のつらさは問題にされるのに、男性の生きづらさは問題にされない」社会の中で、
男性差別が拡大する日本。
私の目から見れば男性たちの多くは、
社会の中で何が起こっているか、まるでわかっていないように見える。
「男女の人権の尊重(注1)」を謳いつつも、
内実はそれに離反するフェミニズム運動の拠点として、
「男女共同参画」局という「美名」の部局を手に入れた似非フェミニストたちは、
その美名で自己中心性を隠蔽するかのように、今日も明日も、
「はじめに結論ありき」の、女性優先・女性優遇・女権拡大の施策を推進する。
「かつて女性は差別されてきた」という言葉は、
恐らくは政治の場でも、奇妙な説得力を持ち続け、
全国津々浦々で、粗雑に、乱雑に使われながら、
男性差別を拡大させていくだろう。
                   (注1)男女共同参画社会基本法第三条

国民の「いのち」の問題について言えば、
内閣府男女共同参画局は、
「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)」の名のもとに、
「女性だけに対する」と言って過言ではない健康支援を展開してきた。
厚生労働省は、既に以前より、
「生涯を通じた女性の健康支援」という名の施策を展開してきたが、
第三次男女共同参画基本計画は、それに上乗せをする形で、
第10分野「生涯を通じた女性の健康支援」を設定した。
しかし男性には、それに相当する支援項目がない。
内閣府男女共同参画局は「性差」という言葉を好み、
それを、女性優遇のために使う。
そして、男性は疎外するのである。
たとえば、明白な性差としての「男性の短命」に関わる健康支援は、
女性に対する手厚い健康支援に比べれば、
ないに等しいと言って過言ではない。

内閣府男女共同参画局の自殺対策も同様である。
既にこのブログでも、くり返し現状を提示してきたように、
明白な「性差」としての、「男性に多いの自殺」の問題について、
男女局は、支援の施策を展開していない。
私が、男女局の担当者にこの発言をしたとき、
彼女は「自殺対策強化月間広報啓発経費」の計上をあげた。
しかしそれだけで、自殺対策などと言えるはずもない。
第10分野「生涯を通じた女性の健康支援」に見られる女性に対する配慮に比べれば、
自殺対策としての、男性への配慮は、皆無であると言ってよいのである。

東日本大震災をめぐる災害対応についても、
被災者の男性を疎外、或いは軽視する傾向が、随所に見られた。
自殺デ−タの扱いについては、すでに前回の記事に書いたが、
被災者の生活支援について言えば、
たとえば、昨年、内閣府男女共同参画局から全国に送られた「男女共同参画の視点からの
防災・復興の取組指針」に付属した「解説事例集(注2)」の、
「p.38」「取組事例13」に記された「宮城登米えがおネット」の、女性だけに対する支
援物資の配布。
この記事には、男性に対する支援が全く存在しない。
また、「平成24年男女共同参画白書全体版(注3)」の、「本編 > 第1部 > 特集 >
第2節 被災者の状況・1:避難所の状況」には、「女性だけに与えられた着替え用テント」
の写真が掲載されており、男性のプライバシ−に対する配慮は、完全に欠落している。
要するに被災者の生活と、人間の尊厳に関わる部分について、
これらの記事には、男性に対する配慮が存在しないのである。

 (注2)(注3) どちらも 内閣府男女共同参画局のHP にある。それぞれのURLは次の通り。
 (注2) http://www.gender.go.jp/policy/saigai/shishin/pdf/jirei_01.pdf     
 (注3) http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h24/zentai/index.html 

翻って、
私たちの日常を見れば、
鉄道会社の施策にも、深刻な男性差別が存在する。
鉄道会社は、「痴漢対策」と称して「女性(専用)車両」を設置していながら、
「痴漢冤罪対策」としての「男性(専用)車両」を設置していないのである。
痴漢冤罪被害は、無実の男性の人生を、根底から破壊する。
すでに衆知の通り、原田信助さんは、
痴漢冤罪被害のために、新宿駅で自らのいのちを絶った。

「なぜ女性のつらさは問題にされるのに、男性の生きづらさは問題にさされないのだろう。」
この、山田さんの言葉の通りの理不尽さが、
日本の社会の、至る所に存在する。

次に、山田昌弘さんの推薦文の、全文を記す。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ワレン・ファレル「男性権力の神話(久米泰介訳.作品社)」 推薦文
                              中央大学教授 山田昌弘
【生きづらい男性が増えている日本社会のために必要な認識】

 なぜ女性のつらさは問題にされるのに、男性の生きづらさは問題にさされないのだろう。
本書の著者であるワレン・ファレル氏は、この問題意識から、これでもか、これでもかと、
男性が女性に比べ「生きづらい」例をあげていく。アメリカ社会では、男性の方が7歳も早
く死ぬ。自殺者も多い。戦争に駆り出される、犯罪は厳しく罰せられる。そして、お金を稼
いで妻子を支えるよう仕事をさせられ、企業は男性を使い捨てにする。ファレル氏は、この
ような男性に不利な状況を「ガラスの地下室」と呼ぶ。ガラスの天井とは、女性が経済的に
活躍したくて上を目指しても見えない壁に阻まれてしまうことを言う。一方、ガラスの地下
室は、いつのまにか見えない壁で囲まれていて、そこから出られなくなってしまう状態を表
している。しかし、男性には権力があると言われていることで、それ自体、問題にされるこ
ともない。
 読んでいて、この状況は、アメリカよりも日本によく当てはまるのではないかと思ってし
まう。日本でも、男性の平均寿命は女性より7歳短く、自殺率は高い。何よりも「男性が妻
子を養うべき」という意識は、アメリカ以上に強い。2012年の内閣府の国民生活に関する
世論調査によると、生活満足度の質問では、生活に満足していると答えた人の割合は、20代
女性の年齢層で最高で75%、最低は、50代男性で、50%である。平均小遣い額も、年々、
低下を続け、既婚男性では昼食代を含め月約3万円である。学生が、自分の小遣いよりも少
ないと驚いていた。そして、収入が低い男性は、結婚相手として選ばれないし、離婚されや
すい。また、近年そのような男性が増えているのである。確かに権力をもって、それを十分
に使い優位に立っている男性もいるだろう。しかし、権力をもっていると言われながら、社
会的に生きづらい男性が増大していることは確かなのだ。
 ファレル氏は、だから、女性差別はこのままでよいとか、昔に戻れと主張するわけではな
い。今までの運動が、近代社会で生きづらい女性を生きやすくするための運動であったなら、
今後は、男性を生きやすくする男性運動が求められている時代であることを強調する。本書
は、アメリカについて書かれたものだが、むしろ、生きづらい男性が増えており、「男は強い」
という考え方が残り続けている日本社会でこそ、本書で展開されている状況の理解が必要で
はないだろうか。


posted by 翠流 at 23:32| Comment(0) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月19日

服装の自由と性的挑発

「人に不快感を与えすぎない範囲で」という条件はあるが、
服装は、基本的には自由だと、私は考えている。
しかし私たちの生活を見れば、
そこには、個性を無視した服装の制約があって、
私たちは、必ずしも自由ではない。

たとえばレディ−スであるとかメンズであるとか、
どこの誰が決めたのか、私にしてみれば、わけのわからない分類によって、
区別された衣料品とそれに応じたショッピングモ−ルの空間がいつのまにか用意され、
私たちは性別に応じて、
それぞれの空間で自分の買い物をしなければならない。

私は、トランスヴェスタイト(クロスドレッサ−)の人たちを気の毒に思う。
特に男性のトランスヴェスタイト。
なぜならば理不尽なことに、
男性の異装は、女性のそれより咎められやすいからだ。

もっとも、私が若かった頃に比べれば、
社会はずいぶん寛容になった。
たとえば私の居住県では、6年ほど前であったか、確か中学校で、
トランスセクシュアルの生徒が、
異性の服装で、卒業式への参列を認められた。
その背景には、県の法務局の人権擁護課の働きかけがあったようで、
それを促したのは、当時、ようやく腰を上げた法務省の、
性的マイノリティ−に対する人権擁護の動きであったと私は捉えているが、
もとより、生まれ落ちた性別によって、
その人の本質が決まるはずはなく、
人には本来、社会通念としてのジェンダ−の呪縛から、
自由になる権利があると私は思う。

1年ほど前であったか、新宿のあるクリニックで、
乳房の摘出手術を受けた FtoM(女性から男性へ)の人が死亡した。
その手術を執刀した医師は、
すでに性別適合手術を受けた MtoF(男性から女性へ)の人と聞いた。
その、叫びのような悲惨を、
私たちは受けとめ、
トランスセクシュアルの人たちの人権を、擁護しなければならない。

ところで、冒頭に書いた「人に不快感を与えすぎない範囲」での服装の自由に関わって、
私は、近年とみに顕著となった、女性の、性的挑発傾向の強い服装の、
男性に対する配慮の欠落に、
憤りと、強い疲労を感じている。
その服装の変化は、恐らくは、自己本位のフェミニズム運動の、
一つの現れと捉えて誤りはないように感じているが、
一例をあげれば、昨年の夏、私は、
オリンピックのシンクロナイズドスイミングの、ユニフォ−ムの変化を見て、
ショックで、体重が2kg減った。
それが、世界的承認のもとに開催されているオリンピックでの映像であったから、
男性に対する過度の性的刺激が世界的な承認を受けたように感じ、
一層強いショックを受けたのである。

ファッションを中心とする消費の世界での、
企業の女性優遇戦略については、たびたび記事として取り上げてきたが、
タ−ゲットとしての女性の「着る幸せ」が拡大し続ける今にあって、
それは、美しさを求める私にとっては、羨望と嫉妬の対象ではあるが、
同時に、その、ファッションの進化の中で、
性的挑発傾向の強い服装が、
男性の性的心理を知りつつもそれに配慮せず、或いはそれを意識的に利用しながら(?)
私たちの日常に流出し、
挑発は罪ではないが挑発されるのは罪であるかの如く男性を翻弄する今の時代に、
私は、強い疲労と、やり場のない怒りを感じるのである。

その、性的刺激の本来の意味を考えてみれば、
それは、性的に成熟した異性に対する生殖行動のリリ−サ−(解発因)なのであって、
愛し合う二人の間でそれをどう使うかは、
全く二人の勝手であるが、
不特定多数で構成される社会の中で、
たとえば男性が明らかに翻弄される極端なミニスカ−トであるとか、
派手な下着が透けて見えるトップスであるとか、
下着そのものが裸出されたファッションであるとか、
そういう、リリ−サ−を開放しすぎるファッションは、
私のような男性にとっては、
紛れもないセクシュアルハラスメントなのである。

ところがそれを、「男性に対するセクハラである」とは表現しない風潮が強い。
それは、「男性は過度の性的ストレスにも耐えなければならない」という、
不当な性別観の押しつけであると私は思う。
男性は、性的挑発に耐えなければならない。
性的挑発は罪ではないが、それに翻弄されるのは罪であるというような、
あたかも、自己本位のフェミニズム運動の、自己中心性の典型であるかのような、
新しい男性差別の出現である。

ちなみに、過日マスコミで話題となった某航空会社の、
女性乗務員の極端なミニスカ−トについての賛否を問うアンケ−トの集計結果の中に、
反対理由として、「乗客のセクハラを誘発する」という表現があった。
要するに、極端なミニスカ−トを、
「男性乗客に対するセクハラである」とは表現しないのである。
それは、男性を、より加害的な立場に置こうとする、男性差別の視点である。

考えてみれば、もとより、男性が女性の性的刺激に翻弄されるのは、
自然が男性に与えた宿命なのであって、
その感受性がなければ、男性は生殖に参与できない。
この、男性の不可避の弱点を知りながら、
翻弄される男性を嘲笑するかのように街を歩く女たち。
それを批判すれば、男性が悪者にされてしまうような風潮の中にあって、
理不尽なストレスは、増すばかりなのである。

ところで、以前、「差別ネットワ−ク」のブログの「女性(専用)車両問題」の記事の中に、
助役(?)が、「男性と同じ電車に乗りたくない女性のお客様もいらっしゃいますから」などと言う場面があった。
しかしそう言うのなら、
私のような、「女性の挑発的服装に疲弊する男性」に対しても、
同じ配慮を示すべきだろう。
痴漢冤罪の恐怖を抱きながら、挑発的な女の近くに乗る苦痛、
「男性(専用)車両」を設置しない鉄道会社は、
日本国憲法第14条、男女共同参画社会基本法第3条、
そして、全国各都道府県の、男女共同参画関連条例に抵触する、男性差別の加害者に他ならない。

posted by 翠流 at 18:33| Comment(0) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月16日

マイノリティーの人権 (1)

このブログを立ち上げる時、
私は、自分の立脚点を示すために、
憲法については14条と13条を引用して、
題名の下にブログの紹介文を書いた。
題が「男性差別とたたかう者のブログ」であるのに、
14条だけではなく13条も引用したのは、
一般的な(と、とりあえず表現するが)男性差別の問題にとどまらず、
マイノリティーに対する差別、或いは、
「男は…」「女は…」というような、個性を無視した二項対立的視点に起因する差別を、
許せない自分、受け入れられない自分が、
長い間、存在し続けてきたからである。

振り返ればその萌芽は、小学校6年の時であった。
私は、少年であるという理由によって、
あるものを求める思いを拒否され、それを手に入れることができなかった。
少女ならば何の制約もなく、それを手に入れることができたというのに・・・・・。
なぜなのだ……。なぜそうなのだ……。
私がただ、少年であるという理由によって……。

     ◆      ◆      ◆

マイノリティーの人権については、ある弁護士の言葉が印象に残る。
彼は、同性愛者に対する差別とのたたかいの中で、
「13条を拠り所としてたたかい続ければ、いつか必ず、未来の開ける日がやってくる」と
発言していた。
私は、性愛については straight(異性愛者)であるから、
その意味では被差別者ではなかったが、
彼の言葉によって、13条は忘れられない存在となった。

マイノリティーや、その対極としてのマジョリティーの位置について、
私たちの日常を素直に見れば、
マジョリティーは、例えば空気の存在を意識せずに暮らしている私たちと同じであって、
彼らは、平凡であることの幸せを、意識せずに享受している。
しかし、それができないマイノリティーの日常は、
非凡さのゆえに、恐らくは、マジョリティーの理解を越える。

平凡が、幸せの必要条件であって、
非凡は、不幸との契約であると、
心の中で反芻していた時期があった。

しかし時代の変化を見れば、
マイノリティーに対する人権擁護の気運は、今の日本では確かに高まっていて、
まだ、「自由の身なればこそ」ではあるが、
私もまた、生きやすくなった一面がある。
例えばそれは、昨年4月の記事、
「ロングカ−ディガン(カテゴリ…日記・つぶやき)」の世界のように。

しかしその、人権擁護の気運は、
例えば、法務省が、重すぎる腰をようやくあげて、
2002年から、性的マイノリティーの人権擁護を、
「おもな人権課題」の中に取り上げるようになったというような、
国の姿勢の変化、そしてその結果としての社会の変化に、
恐らくは負うものであって、
私がこのブログで訴えてきたような男性差別解消の多くは、
性別観を含め、今の日本の社会の、男性に対する不当な偏見等によって、
現在では、性的マイノリティーの人たちよりも、
むしろマイノリティーであるかもしれない位置からの、
届かない叫びのようにも思えてくる。

先日、私は、法務省の人権擁護局人権啓発課に、問合せの電話をした。
そのとき私の電話を受けた、ある人の話によれば、
法務省が、性的マイノリティーの人権擁護に踏み込んだ契機は、
当時、社民党の議員であった上田氏の、国会質問だったのだそうだ。
では、私たちは、どうすれば、
男性差別解消の思いに、実効性を持たせることができるのだろうか ?

posted by 翠流 at 01:03| Comment(0) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月11日

つぶやき ・ 男性問題の世紀

安全保障関連法案の紛糾が、
第四次男女共同参画基本計画の策定時期に影響を与えれば・・・・・などと、
自分の怠惰の救いを求める思いが実はあったが、
7月29日付で、パブリックコメントの募集が始まってしまった。

 【関連URL】
   第4次男女共同参画基本計画策定に当たっての基本的な考え方(素案)」に係る意見募集について
     http://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/keikaku_sakutei/yojikeikaku/ikenboshu.html
   第4次男女共同参画基本計画策定に当たっての基本的な考え方についての公聴会の開催について
     http://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/keikaku_sakutei/yojikeikaku/kouchoukai.html

第四次基本計画を意識して3月29日に送った自殺対策要望書の中に、
健康支援の男性差別についても是正を求める要望を記したが、
主張の根拠となる厚労省のデータを添えた健康支援要望書の作成は、
あれから4か月もの間、遅々として進まなかった。

昔、ある労働組合の分会長になった知人が、
「一人でたたかう強さがなければ組合活動はできない」などと言っていたが、
どうやら私にはそういう強さは育たなかったようで、
今の私の遅々とした生活は、その証だと思う。
組合活動も、男性差別とたたかう運動も、基本的には同じだろう。
私にはむしろ、現実的な差別とのたたかいより、
たとえば主観的な美の世界の、僅かばかりの自己表現の舞台に、
埋没したほうが似合っているような気がする。
シュプランガーの分類に逃げれば、
私は審美型の人間なのである。

ところで、4月に参加した或る集会に都議会議員が何人か出席していたが、
その中の或る女性議員が、印象に残る発言をしていた。
彼女はこう言ったのである。
「今、電車に乗ると、女性はみんなきれいです。男性はみんな下を向いています・・・・・・」
私はこの言葉が、今の日本の男女の状況を、
的確に象徴しているように思われた。
女たちは既に、解放を越えた女性優遇、女権拡大の道を、
たとえば男女共同参画という、美名と乖離した施策によって与えられ、
消費の世界では、美に向かう営業戦略のターゲットとして、
膨張し続ける主役となった。
渡辺恒夫(注1)の言葉を借りれば、
「今日、女性は自らの性のアイデンティティを、男性に比べはるかに強固な自信と安定の上に築き上げている」のである。
      (注1) 先回および先々回の記事で取り上げた書籍、「脱男性の時代」の著者。

それに比すれば男たちは、
未来の見えない社会の中にあって、
過去からの性別観に縛られながら、
不器用に、脆弱に、下を向きながら生きているように見える。
それはたとえば、スーツを着るしか術のない男たち、
或いはまた、美を剥奪されたワイシャツを着るしか術のない男たち・・・・・。

渡辺恒夫は同書の中で言う。
「20世紀が女性問題の世紀であったとすれば、21世紀は男性問題の世紀になるだろう・・・・・」

就活失敗で自殺する20代の若者の8割から9割が男性であるという事実(注2)を挙げるまでもなく、
「男性問題の世紀」は、既に始まっている。
      (注2) 記事「男性の自殺(5)」参照・・・・・記事カテゴリは「自殺関連」


posted by 翠流 at 00:08| Comment(0) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月21日

健康支援

既に指摘してきたように、
男女共同参画基本計画の「生涯を通じた女性の健康支援」は、
第三次計画であるにしろ第四次計画であるにしろ、
題名は勿論のこと、内容についても、
「男女の人権の尊重」を謳った「男女共同参画社会基本法第3条」と乖離して、
初めに女性優先・女性優遇の結論ありきの、男性差別の施策である。
男女局は本来、その名の通りの「男女共同参画」の部局であるべきはずなのに、
内実は、自己本位のフェミニズム運動の発信基地となっている。

男性に対する性別観が男性に課す戒め、
例えば、「男性は苦しみを表に出してはならない。配慮を求めてはならない。一人で困難に耐えなければならない」というような、
男性に対する人権軽視・人権無視の是認につながるような戒めを廃し、
数値として示された客観的な事実に基づいて書けば、
「いのちの危機」に直面しやすいのは、女性より、むしろ男性であって、
それは例えば、既に数値として示してきたような、
明白な性差としての、男性に顕著な「悪性新生物や自殺による死亡」等に表れている。
このような事実をふまえて、
第四次男女共同参画基本計画の「生涯を通じた女性の健康支援」を読めば、
男女局の、男性軽視は明白である。
男女局は、男性の危機とは真摯に対峙しない。
項目として触れる場合であっても、女性に対する手厚い配慮に比べれば、
余りにも、形式的、或いは表面的である。

ところで、男女局の施策だけではなく、
様々の媒体を通して国民に発せられる健康支援関連のメッセージには、
女性側への支援に傾斜した表現が、広く存在する。
例えば、医療情報として頻回に発せられてきたメッセージ、
「大腸癌による死亡は女性では1位、男性では3位である」という表現に、
私は初めから違和感を感じてきた。
この、性別死亡順位だけのメッセージは、下記のような性差の実態と乖離して、
大腸癌死亡は「女性に多い」という印象を国民に与えるからである。

  大腸癌による死亡 : 2014年 (死亡率は性別人口10万人に対する死亡数を示す)
         死亡数  (死亡率)     
      男性 26,177 (47.4)     
      女性 22,308 (34.6)     

実はこの件について、私は、今年の3月、全国でも有名な内視鏡の名医の「ある人」に、
「表現が死亡状況の性差(実数)を正しく反映しておらず、適切さを欠くのではないか」と、
直接問いかけたことがあった。
すると彼は、「女性の検診率を高めるためだ」と、
羞恥の問題を絡めて、私の予想通りの答えをしたのであった。
しかし、この彼の発言には二つの問題がある。
一つは、男性の感受性の多様さを無視した、不当な性別観の押し付けである。
女性に限らず男性でも、羞恥心や屈辱感の強い人は大腸内視鏡検査を拒むが、
彼はこの事実を無視し、不当な性的偏見を拡大させる発言をしたのである。

しかしそれは、今回の件については、問題の本質ではない。
問題は、男性の死亡率(死亡数)が女性より高いにもかかわらず、
「大腸癌による死亡は女性では1位、男性では3位である」という表現によって、
女性の危機の方が、現実と乖離して男性より強調され、
それが、恐らくは無批判のままに専門家の間も通過して、
社会に拡散したことにあるのである。

男性の困難は、現実に比して抑制的に報道され、
女性の困難は、それを強調するように報道される。
男性は支援を受けにくく、女性は支援を受けやすいのである。
それが、社会に存在する男性差別の力関係である。

同様の現象は、癌による死亡・罹患等の状況を、
男女別の平面でグラフ化する場合にも、しばしば見られる。
例えば、死亡の年次変化を、癌の種類別に折れ線グラフで表示する場合、
縦軸(死亡数)の目盛りの取り方を男女で同じにすれば、
癌死は男性に多いから、必然的に男性の座標平面が大きくなり、
直感的印象としても、事実がそのまま伝わるが、
縦軸の目盛りの取り方を男女で変え(目盛りの幅を女性で大きくする)、
男女の座標平面の大きさが同じになるように操作するのである。
この場合、癌死の実態は、直感的印象としては伝わりにくく、
癌の種類によっては、事実と逆の印象を与える場合もある。

ところで、今年の5月末のことであるが、
私は、あるネットニュースがきっかけとなって、
「日本対ガン協会」が使っている「5大ガン」という表現を気にするようになった。
この表現にもまた、同様のメッセージが含まれているからである。
この件については、後日、機会を改めて書きたいと思う。

posted by 翠流 at 13:23| Comment(0) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月29日

山崎 元 の文章

理不尽な女性優遇ばかりが拡大する日本にあって、
ある知人から紹介された山崎元(経済評論家)という人の文章に、
ひと時の安らぎを与えられた。
たぶん私だけではなく、
女性優遇社会の生づらさを抱える男性たちの中には、
山崎さんの文章を、自分の思いの代弁として捉える人も多いのではないかと思う。

昨今のネット上で、男性評論家の発言を読むと、
なぜか、女性優遇の肯定や、推進論が目立つような状況があって、
私は、その背後に、評論家やマスコミの、
時流に乗ろうとする自己中心性や、
女性優遇是認が、男として背負うべき規範であるかのような、
男性差別の価値観の存在を意識するが、
仮にそれが、私の穿った見方であったとしても、
女性優遇ばかりが増幅し続ける日本の社会は、
既に、女性差別解消の域を逸脱して、
女たちを特権階級にしてしまっている。

企業の、女性をターゲットとした優遇戦略は、
例えば、法務省の「人権侵犯事実不明確」の判断に見られるように、
法の網の目をくぐることを許され、
営利のために、平等な人権尊重という倫理を破壊し続けているし、
痴漢対策と称した女性車両に「専用」という法律違反の名称を与えた鉄道会社は、
男性の人生を破壊する痴漢冤罪被害については、
全く対策を講じてこなかったと言って過言ではく、
この、糾弾されるべき男性差別の持続は、
日本を女性優遇列島に変えるための、重大な役割を演じてしまっている。

内閣府男女共同参画局を発信基地とするフェミニズム運動は、
男女共同参画社会基本法第三条(注1)とは乖離した自己本位性のままに、
様々の施策を講じてきた。
例えば、女性の社会進出であるならば、
男女共同参画社会基本法第二条二項(注2)は、
数値目標達成を最優先とした女性優遇採用・昇進の正当化のための詭弁に、
法的根拠を与えることを目的として、計画的に導入されたと私は感じているが、
その周到な策略は、安倍晋三の擁護を得て、
実力主義に背いた悪花を咲かせるようになった。

  (注1) 第三条(男女の人権の尊重) 男女共同参画社会の形成は、男女の個人とし
     ての尊厳が重んぜられること、男女が性別による差別的取扱いを受けないこと、
     男女が個人として能力を発揮する機会が確保されることその他の男女の人権が
     尊重されることを旨として、行われなければならない。

  (注2) 第二条(定義)  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、
               当該各号に定めるところによる。
    一 男女共同参画社会の形成  男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思
     によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって
     男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、
     かつ、共に責任を担うべき社会を形成することをいう。
    二 積極的改善措置  前号に規定する機会に係る男女間の格差を改善するため
     必要な範囲内において、男女のいずれか一方に対し、当該機会を積極的に提供
     することをいう。

災害対応については、既に、東日本大震災を中心として、
男女局の、男性に対する人権軽視・人権無視の施策を繰り返し取り上げてきたが、
先般の熊本地震に関わっても、
内閣府男女共同参画局がHPで発したメッセージは、
2013年に、男性への人権上の配慮も加えて(案)が修正された「男女共同参画の視点からの防災・
復興の取組指針」と乖離したまま修正されなかった「指針の【解説事例集】」からの引用、具体
的には、初めに女性優遇の結論ありきの「取り組み事例」や「避難所チェックシート」が目立つ
のである。(この件については、後日改めて取り上げたい思いがある)

第4次男女共同参画基本計画の「健康支援」についても、既に発言をしてきた。
基本計画に記された題名は、「生涯を通じた女性の健康支援」、
「男女共同参画」であるにも関わらず、そして、
「いのちの危機」に直面しやすいのは、女性より、むしろ男性であることが、
既述の通り、厚労省等のデータから明らかであるのに、
題名には女性しか存在しないのである。
本文に男性のことが全く書いてないわけではないが、
女性に対する手厚い配慮に比べれば、
男性に関する記述は、はるかに脆弱であって、
その内容は、形式的、表面的。
要するに男女局は、男性の危機とは、真摯に対峙しないのである。

           ◆

前置きが長くなってしまった。次に山崎さんの文章を掲載する。
URLと共に、全文を掲載する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

DIAMOND online  TOP  経済・時事
山崎元のマルチスコープ

  ◆ 社会に潜む「女性優遇」、日本の男子は微妙に生きにくい
         http://diamond.jp/articles/-/108988
              山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]

【第453回】 2016年11月23日

東大女子の家賃補助に思う
日本の男子は肩身が狭い

 日本の「男子」は、生きにくいのではないか。漠然とそう感じてきたが、東京大学が遠隔地出
身の女子学生に月3万円の家賃補助を行うことを決めた、というニュースを見て、「本当に、そ
うかもしれない」とあれこれ考え始めるに至った。

 東京大学の女子学生比率は近年伸び悩んでいる。学部入学者の比率で見て2004年の21%に
及ばないばかりか、近年は20%を切る水準での推移になっている。

 その理由として、地方の女子の場合、東京大学に入学できる学力があっても、親元を離れて東
京で一人暮らしをすることの、危険、心細さ、経済的負担などを嫌って、自宅からの通学が可能
な大学を受験するケースがあるのは分かる。

 また、東京大学が、いかにも通俗的だが、学生に「多様性」を求めたいと希望していることも
分からなくはない。例えば、男子校の進学校出身のよく似たタイプの学生が多数入学して来るこ
とは、想像に難くない。

 しかし、一見画一的に見えても、素材としての人には個性がある。大学で学問をはじめとする
多様な経験を積ませることによって、「多様性」は後から教育で引き出すべきものなのではない
か。男女比率などといった表面的な属性にこだわること自体が、世間の後追い的でイケていない
が、加えて表面的な目標達成のためにカネを使おう、というのは何ともいただけない。

 仮に、入学試験を受ける年代の男女の数と能力差がほぼ同じで、東京大学が「極端に魅力的」
な大学であるとすれば、男女はほぼ同数集まってもいいのではないか。要は、東京大学が提供す
る教育に十分な魅力がないことが、真の問題なのではないだろうか。

 それにしても、地方出身の男子東大生が可哀想ではないか。学費と生活費のために、例えば、
時給1000円として3万円に相当する30時間の貴重な時間を、ただで貰える女子学生を横目に、
アルバイトに費やさねばならない苦学生はまことに気の毒だ。

 余談だが、気の毒な男子学生諸君のために、初歩の金融知識を伝授しよう。現在、奨学金は有
利子のものでも年率0.1%といった大変低い金利で借りられる(無利子のものもあれば、有利子
のものも複数の条件がある)。学生諸君が卒業後に就職すると、数年で500万円程度の年収を稼
ぐようになることは珍しくないはずだが、500万円の年収は時給に換算すると2500円だ。時給が
1000円から1500円といったアルバイトになど時間を費やさずに、奨学金を得て、将来の時給で
現在の時間を買う方が「投資として得」だ。奨学金でなく、親から借りてもいい。

 もちろん、「買った時間」は、勉強(これが一番無難な投資だ。勉強の出来ない東大出ほど無
意味な生き物はいない)、人脈形成、有意義な経験、社会貢献、など将来の人材価値につながる
ものに無駄なく使うべきだ。学生時代の「時間」は、人生に対する(より正確には「将来の人材
価値」に対する)投資の元手として、まことに貴重だ。

電車内や社内に潜む
男性不利のバイアス

 さて、本題に戻ろう。男子で不利なのは、地方出身の東大生だけではない。

 例えば、地下鉄に乗ってオフィスを目指そうとすると、「女性専用車両」が目に入る。この車
両を避けて乗るとしても、「オヤジ」(30代から上の男は皆「オヤジ」の自覚を持つべきだ)は
汚いものであるかのような目で女性から見られ、汚いだけでなく、いつ痴漢を働くか分からない
危険な生き物のように避けられ、甚だしきに至っては痴漢のえん罪の対象になることさえある。

 相手の立ち位置が邪魔で腹が立っても、「オバサン、よけてよ」というような不用意な言葉を
吐くと、場合によっては電車の中でも問題化するリスクがあるし、オフィスの中であれば、「セ
クハラ」という、認定された場合にはサラリーマンとして致命的とも言える状況に陥るリスクが
ある。

 もちろん、痴漢の犯人は男性が圧倒的に多かろうし、軽微な痴漢なら許せと言いたいわけでは
ないが、同じことをしても、男性が女性に何かする方が、女性が男性に何かするよりも、「大事」
になりやすいバイアスが存在するように思われる。

 オフィスのセクハラも同様だ。女性が、男性の薄毛を「ハゲ」と言ってもその場の暴言で済ま
されそうだが、男性が同僚女性の体型を揶揄する言葉を発すると、セクハラとして「大問題」に
なりかねない。いずれの「不適切さ」も本質的には同等であるように思われるのだが、扱われ方
に、「男性不利」のバイアスがあるのではないか。特にセクハラについては、オフィス内の駆け
引きにあって、ライバルや敵を陥れる罠に使われることがあるので、特に男性のサラリーマン読
者は幾重にも注意されたい。

 少し前に(ソチ五輪の頃だ)、国会議員でかつある競技団体の会長だった女性が、パーティで
ご贔屓の男性選手に強引にキスをした一件が世間で問題になった事があったが、その後批判はさ
れたものの、議員も会長も辞任には至らなかった。加害者・被害者の男女関係が逆だったら、こ
の程度では収まらなかったのではないだろうか。

 痴漢もセクハラも悪い。このことに異議はない。しかし、その認定と実質的な処罰にあっては、
男性が不利になっているのではないだろうか。そして、このことは、実際に罪を犯さない男子に
対しても、微妙なプレッシャーをかけている。

 加えて、今日でも多くの組織人の主たる関心事である「出世」にあって、女性を明示的に優遇
するケースが多発している。企業では、役員・部長の登用に女性を優遇したり、甚だしきに至っ
ては幹部社員における女性の目標比率を定めたりしている。女性の活用に光が当たる一方で、こ
こでも男子は、じんわりと圧迫を受けている。

 「人事は公平・公正なものである」という建前は、現実には建前に過ぎないことが多いが、
これをないがしろにすると組織は澱む。

男子にプレッシャーを与える
大黒柱の呪縛

 社会の制度にも、日本男子へのプレッシャーが見える。

 近年、安倍内閣が目指す女性の参画を巡って、よく話題になる、「103万円の壁」(超えると
給与所得控除がなくなる)、「130万円の壁」(国民年金保険料の支払い義務が発生。大企業勤務
者は106万円に引き下げの案が審議中)の、いわゆる「壁」問題は、働く女性と、専業主婦との
間の有利・不利の問題として語られることが多いが、共稼ぎの妻が「壁」に阻まれてそれ以上に
働く意思を持たなくなる場合、家計を同じくする夫も理不尽な不利の被害者だ。

 また、夫が働き、妻が専業主婦で、子供が二人いるような、いかにも昭和な「標準家庭」の想
定は、現在の社会保障を考える上ですでに実態に合っていないが、世間が想定する、このような
「当たり前の家庭像」は、妻子を養う経済力のない男性に対して「あなたは一人前ではない」と
いう無言のプレッシャーとなっている。そして、こうした男性が結婚に消極的になることが、晩
婚化、さらには少子化に拍車を掛けているように思える。

  「控除」に関わる制度の周りを見るだけでも、女性間の差別(「差別」と呼ぶに十分な理不
尽だろう)、晩婚化、少子化、さらに目立たぬながらも、専業主婦の夫に対する不利や、夫たる
男は一家の「大黒柱」たれ、という制度的・世間的なプレッシャーが男子に加わることの問題が
見える。

 「男らしく(あれ)」と言うのも、「女らしく(あれ)」という発言と同程度に不適切であり、
相手の男女を問わずにセクハラでもある、ということは理屈では理解できるとしても、なかなか
世間に浸透しない。

 「経済力」あるいは「肉体的な強さ」などを持たない「弱い男子」にとって、現在の日本の社
会は、ひどく「生きにくい」環境なのではないだろうか。

「男女平等」の追求に
「女性優遇」を使うべきではない

 政府が目指す女性の労働参加を促進する上でも、また家計がいわゆる「ライフ・シフト」、す
なわち人間の長寿化に適応していくためにも、夫婦は夫と妻とが分け隔てなく稼ぐ「平等な共稼
ぎ」こそを、標準家庭と考えることが望ましい。

 「壁」に制約されずに、妻も稼げるだけ稼ぐことは、当面の家計を助けるだけでなく、「現役
期間の延長」をサポートするし、夫の就業不能等のリスクに対する「保険」にもなる。

 また、社会的にそうした家庭像を「当たり前」とすることは、専業主婦という今や贅沢品を長
期保有する経済的自信を持たない男性へのプレッシャーを緩和することになるだろうし、なにが
しか晩婚化・少子化への歯止めともなる可能性がある。

 「男は強くあらねばならない」という価値観を社会が緩やかに捨てることが望ましいのではな
いか。個人的な「好み」として捨てることを強制しなくてもいいが、この価値観を他人に押し付
けることは慎むべきだ。

 経済的に、あるいは肉体的に、または精神的に、「弱い男子」に対して社会はもっと優しくあ
ってもいいのではないだろうか。付け加えるなら、若い男子ばかりでなく、経済的にも体力的に
も上がり目を失い、異性から好感も持たれない「オヤジ」の多くは、間違いなく「弱者」だ。も
っと優しくして欲しい。

正直に言って、筆者も、レトリックとして「男らしく」といった表現を使ってしまうことがあ
るが、これは良くない。気を付けねばなるまい。

 もっとも、「弱い男子にも気を遣うべきだ」とする社会が、今よりも居心地のいい社会をもた
らすか、単に気を遣う対象が増えて窮屈さを増すだけなのかは、筆者にとっても今一つ定かでは
ない。

 ただし、国立大学が女子学生だけに限った家賃補助を行うことや、人事における女性の優先登
用、専業主婦だけを優遇し労働市場を歪めているアンフェアかつ非効率的な各種の控除のような
ものは、さっさと止めることがいいに違いあるまい。

 「男女平等」の理想を追求するに当たって、一時的にではあっても「女性優遇」を手段として
使うことは不純であり、弊害を生む。真っ直ぐ理想を目指すべきだろう。


posted by 翠流 at 02:06| Comment(0) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする