2016年11月29日

山崎 元 の文章

理不尽な女性優遇ばかりが拡大する日本にあって、
ある知人から紹介された山崎元(経済評論家)という人の文章に、
ひと時の安らぎを与えられた。
たぶん私だけではなく、
女性優遇社会の生づらさを抱える男性たちの中には、
山崎さんの文章を、自分の思いの代弁として捉える人も多いのではないかと思う。

昨今のネット上で、男性評論家の発言を読むと、
なぜか、女性優遇の肯定や、推進論が目立つような状況があって、
私は、その背後に、評論家やマスコミの、
時流に乗ろうとする自己中心性や、
女性優遇是認が、男として背負うべき規範であるかのような、
男性差別の価値観の存在を意識するが、
仮にそれが、私の穿った見方であったとしても、
女性優遇ばかりが増幅し続ける日本の社会は、
既に、女性差別解消の域を逸脱して、
女たちを特権階級にしてしまっている。

企業の、女性をターゲットとした優遇戦略は、
例えば、法務省の「人権侵犯事実不明確」の判断に見られるように、
法の網の目をくぐることを許され、
営利のために、平等な人権尊重という倫理を破壊し続けているし、
痴漢対策と称した女性車両に「専用」という法律違反の名称を与えた鉄道会社は、
男性の人生を破壊する痴漢冤罪被害については、
全く対策を講じてこなかったと言って過言ではく、
この、糾弾されるべき男性差別の持続は、
日本を女性優遇列島に変えるための、重大な役割を演じてしまっている。

内閣府男女共同参画局を発信基地とするフェミニズム運動は、
男女共同参画社会基本法第三条(注1)とは乖離した自己本位性のままに、
様々の施策を講じてきた。
例えば、女性の社会進出であるならば、
男女共同参画社会基本法第二条二項(注2)は、
数値目標達成を最優先とした女性優遇採用・昇進の正当化のための詭弁に、
法的根拠を与えることを目的として、計画的に導入されたと私は感じているが、
その周到な策略は、安倍晋三の擁護を得て、
実力主義に背いた悪花を咲かせるようになった。

  (注1) 第三条(男女の人権の尊重) 男女共同参画社会の形成は、男女の個人とし
     ての尊厳が重んぜられること、男女が性別による差別的取扱いを受けないこと、
     男女が個人として能力を発揮する機会が確保されることその他の男女の人権が
     尊重されることを旨として、行われなければならない。

  (注2) 第二条(定義)  この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、
               当該各号に定めるところによる。
    一 男女共同参画社会の形成  男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思
     によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって
     男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、
     かつ、共に責任を担うべき社会を形成することをいう。
    二 積極的改善措置  前号に規定する機会に係る男女間の格差を改善するため
     必要な範囲内において、男女のいずれか一方に対し、当該機会を積極的に提供
     することをいう。

災害対応については、既に、東日本大震災を中心として、
男女局の、男性に対する人権軽視・人権無視の施策を繰り返し取り上げてきたが、
先般の熊本地震に関わっても、
内閣府男女共同参画局がHPで発したメッセージは、
2013年に、男性への人権上の配慮も加えて(案)が修正された「男女共同参画の視点からの防災・
復興の取組指針」と乖離したまま修正されなかった「指針の【解説事例集】」からの引用、具体
的には、初めに女性優遇の結論ありきの「取り組み事例」や「避難所チェックシート」が目立つ
のである。(この件については、後日改めて取り上げたい思いがある)

第4次男女共同参画基本計画の「健康支援」についても、既に発言をしてきた。
基本計画に記された題名は、「生涯を通じた女性の健康支援」、
「男女共同参画」であるにも関わらず、そして、
「いのちの危機」に直面しやすいのは、女性より、むしろ男性であることが、
既述の通り、厚労省等のデータから明らかであるのに、
題名には女性しか存在しないのである。
本文に男性のことが全く書いてないわけではないが、
女性に対する手厚い配慮に比べれば、
男性に関する記述は、はるかに脆弱であって、
その内容は、形式的、表面的。
要するに男女局は、男性の危機とは、真摯に対峙しないのである。

           ◆

前置きが長くなってしまった。次に山崎さんの文章を掲載する。
URLと共に、全文を掲載する。

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DIAMOND online  TOP  経済・時事
山崎元のマルチスコープ

  ◆ 社会に潜む「女性優遇」、日本の男子は微妙に生きにくい
         http://diamond.jp/articles/-/108988
              山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員]

【第453回】 2016年11月23日

東大女子の家賃補助に思う
日本の男子は肩身が狭い

 日本の「男子」は、生きにくいのではないか。漠然とそう感じてきたが、東京大学が遠隔地出
身の女子学生に月3万円の家賃補助を行うことを決めた、というニュースを見て、「本当に、そ
うかもしれない」とあれこれ考え始めるに至った。

 東京大学の女子学生比率は近年伸び悩んでいる。学部入学者の比率で見て2004年の21%に
及ばないばかりか、近年は20%を切る水準での推移になっている。

 その理由として、地方の女子の場合、東京大学に入学できる学力があっても、親元を離れて東
京で一人暮らしをすることの、危険、心細さ、経済的負担などを嫌って、自宅からの通学が可能
な大学を受験するケースがあるのは分かる。

 また、東京大学が、いかにも通俗的だが、学生に「多様性」を求めたいと希望していることも
分からなくはない。例えば、男子校の進学校出身のよく似たタイプの学生が多数入学して来るこ
とは、想像に難くない。

 しかし、一見画一的に見えても、素材としての人には個性がある。大学で学問をはじめとする
多様な経験を積ませることによって、「多様性」は後から教育で引き出すべきものなのではない
か。男女比率などといった表面的な属性にこだわること自体が、世間の後追い的でイケていない
が、加えて表面的な目標達成のためにカネを使おう、というのは何ともいただけない。

 仮に、入学試験を受ける年代の男女の数と能力差がほぼ同じで、東京大学が「極端に魅力的」
な大学であるとすれば、男女はほぼ同数集まってもいいのではないか。要は、東京大学が提供す
る教育に十分な魅力がないことが、真の問題なのではないだろうか。

 それにしても、地方出身の男子東大生が可哀想ではないか。学費と生活費のために、例えば、
時給1000円として3万円に相当する30時間の貴重な時間を、ただで貰える女子学生を横目に、
アルバイトに費やさねばならない苦学生はまことに気の毒だ。

 余談だが、気の毒な男子学生諸君のために、初歩の金融知識を伝授しよう。現在、奨学金は有
利子のものでも年率0.1%といった大変低い金利で借りられる(無利子のものもあれば、有利子
のものも複数の条件がある)。学生諸君が卒業後に就職すると、数年で500万円程度の年収を稼
ぐようになることは珍しくないはずだが、500万円の年収は時給に換算すると2500円だ。時給が
1000円から1500円といったアルバイトになど時間を費やさずに、奨学金を得て、将来の時給で
現在の時間を買う方が「投資として得」だ。奨学金でなく、親から借りてもいい。

 もちろん、「買った時間」は、勉強(これが一番無難な投資だ。勉強の出来ない東大出ほど無
意味な生き物はいない)、人脈形成、有意義な経験、社会貢献、など将来の人材価値につながる
ものに無駄なく使うべきだ。学生時代の「時間」は、人生に対する(より正確には「将来の人材
価値」に対する)投資の元手として、まことに貴重だ。

電車内や社内に潜む
男性不利のバイアス

 さて、本題に戻ろう。男子で不利なのは、地方出身の東大生だけではない。

 例えば、地下鉄に乗ってオフィスを目指そうとすると、「女性専用車両」が目に入る。この車
両を避けて乗るとしても、「オヤジ」(30代から上の男は皆「オヤジ」の自覚を持つべきだ)は
汚いものであるかのような目で女性から見られ、汚いだけでなく、いつ痴漢を働くか分からない
危険な生き物のように避けられ、甚だしきに至っては痴漢のえん罪の対象になることさえある。

 相手の立ち位置が邪魔で腹が立っても、「オバサン、よけてよ」というような不用意な言葉を
吐くと、場合によっては電車の中でも問題化するリスクがあるし、オフィスの中であれば、「セ
クハラ」という、認定された場合にはサラリーマンとして致命的とも言える状況に陥るリスクが
ある。

 もちろん、痴漢の犯人は男性が圧倒的に多かろうし、軽微な痴漢なら許せと言いたいわけでは
ないが、同じことをしても、男性が女性に何かする方が、女性が男性に何かするよりも、「大事」
になりやすいバイアスが存在するように思われる。

 オフィスのセクハラも同様だ。女性が、男性の薄毛を「ハゲ」と言ってもその場の暴言で済ま
されそうだが、男性が同僚女性の体型を揶揄する言葉を発すると、セクハラとして「大問題」に
なりかねない。いずれの「不適切さ」も本質的には同等であるように思われるのだが、扱われ方
に、「男性不利」のバイアスがあるのではないか。特にセクハラについては、オフィス内の駆け
引きにあって、ライバルや敵を陥れる罠に使われることがあるので、特に男性のサラリーマン読
者は幾重にも注意されたい。

 少し前に(ソチ五輪の頃だ)、国会議員でかつある競技団体の会長だった女性が、パーティで
ご贔屓の男性選手に強引にキスをした一件が世間で問題になった事があったが、その後批判はさ
れたものの、議員も会長も辞任には至らなかった。加害者・被害者の男女関係が逆だったら、こ
の程度では収まらなかったのではないだろうか。

 痴漢もセクハラも悪い。このことに異議はない。しかし、その認定と実質的な処罰にあっては、
男性が不利になっているのではないだろうか。そして、このことは、実際に罪を犯さない男子に
対しても、微妙なプレッシャーをかけている。

 加えて、今日でも多くの組織人の主たる関心事である「出世」にあって、女性を明示的に優遇
するケースが多発している。企業では、役員・部長の登用に女性を優遇したり、甚だしきに至っ
ては幹部社員における女性の目標比率を定めたりしている。女性の活用に光が当たる一方で、こ
こでも男子は、じんわりと圧迫を受けている。

 「人事は公平・公正なものである」という建前は、現実には建前に過ぎないことが多いが、
これをないがしろにすると組織は澱む。

男子にプレッシャーを与える
大黒柱の呪縛

 社会の制度にも、日本男子へのプレッシャーが見える。

 近年、安倍内閣が目指す女性の参画を巡って、よく話題になる、「103万円の壁」(超えると
給与所得控除がなくなる)、「130万円の壁」(国民年金保険料の支払い義務が発生。大企業勤務
者は106万円に引き下げの案が審議中)の、いわゆる「壁」問題は、働く女性と、専業主婦との
間の有利・不利の問題として語られることが多いが、共稼ぎの妻が「壁」に阻まれてそれ以上に
働く意思を持たなくなる場合、家計を同じくする夫も理不尽な不利の被害者だ。

 また、夫が働き、妻が専業主婦で、子供が二人いるような、いかにも昭和な「標準家庭」の想
定は、現在の社会保障を考える上ですでに実態に合っていないが、世間が想定する、このような
「当たり前の家庭像」は、妻子を養う経済力のない男性に対して「あなたは一人前ではない」と
いう無言のプレッシャーとなっている。そして、こうした男性が結婚に消極的になることが、晩
婚化、さらには少子化に拍車を掛けているように思える。

  「控除」に関わる制度の周りを見るだけでも、女性間の差別(「差別」と呼ぶに十分な理不
尽だろう)、晩婚化、少子化、さらに目立たぬながらも、専業主婦の夫に対する不利や、夫たる
男は一家の「大黒柱」たれ、という制度的・世間的なプレッシャーが男子に加わることの問題が
見える。

 「男らしく(あれ)」と言うのも、「女らしく(あれ)」という発言と同程度に不適切であり、
相手の男女を問わずにセクハラでもある、ということは理屈では理解できるとしても、なかなか
世間に浸透しない。

 「経済力」あるいは「肉体的な強さ」などを持たない「弱い男子」にとって、現在の日本の社
会は、ひどく「生きにくい」環境なのではないだろうか。

「男女平等」の追求に
「女性優遇」を使うべきではない

 政府が目指す女性の労働参加を促進する上でも、また家計がいわゆる「ライフ・シフト」、す
なわち人間の長寿化に適応していくためにも、夫婦は夫と妻とが分け隔てなく稼ぐ「平等な共稼
ぎ」こそを、標準家庭と考えることが望ましい。

 「壁」に制約されずに、妻も稼げるだけ稼ぐことは、当面の家計を助けるだけでなく、「現役
期間の延長」をサポートするし、夫の就業不能等のリスクに対する「保険」にもなる。

 また、社会的にそうした家庭像を「当たり前」とすることは、専業主婦という今や贅沢品を長
期保有する経済的自信を持たない男性へのプレッシャーを緩和することになるだろうし、なにが
しか晩婚化・少子化への歯止めともなる可能性がある。

 「男は強くあらねばならない」という価値観を社会が緩やかに捨てることが望ましいのではな
いか。個人的な「好み」として捨てることを強制しなくてもいいが、この価値観を他人に押し付
けることは慎むべきだ。

 経済的に、あるいは肉体的に、または精神的に、「弱い男子」に対して社会はもっと優しくあ
ってもいいのではないだろうか。付け加えるなら、若い男子ばかりでなく、経済的にも体力的に
も上がり目を失い、異性から好感も持たれない「オヤジ」の多くは、間違いなく「弱者」だ。も
っと優しくして欲しい。

正直に言って、筆者も、レトリックとして「男らしく」といった表現を使ってしまうことがあ
るが、これは良くない。気を付けねばなるまい。

 もっとも、「弱い男子にも気を遣うべきだ」とする社会が、今よりも居心地のいい社会をもた
らすか、単に気を遣う対象が増えて窮屈さを増すだけなのかは、筆者にとっても今一つ定かでは
ない。

 ただし、国立大学が女子学生だけに限った家賃補助を行うことや、人事における女性の優先登
用、専業主婦だけを優遇し労働市場を歪めているアンフェアかつ非効率的な各種の控除のような
ものは、さっさと止めることがいいに違いあるまい。

 「男女平等」の理想を追求するに当たって、一時的にではあっても「女性優遇」を手段として
使うことは不純であり、弊害を生む。真っ直ぐ理想を目指すべきだろう。


posted by 翠流 at 02:06| Comment(0) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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