2015年12月24日

ジェンダー アイデンティティー (Gender Identity)

私が通うサロン(もちろん真面目な)のエステティシャンは、
私の顔のマッサージをしながら、受容的なトーンで言う。
「翠流さんて、普通の男性と、ずいぶん違うみたい・・・・・」
私は、その言葉を聞きながら、二つの感情を抱く。
一つは、彼女に受け入れられているという安堵感。
もう一つは、今日もまた、
私はマジョリティーではないと、思わされるストレス。

私が所属しているボランティア団体の、まだ若いあの人は、
昨年の夏、私が、紫色の大きな花柄の、もちろんレーヨン素材の、
ウエストをつめた、流れるようなラインの(メンズの)アロハシャツを着ているのを見て、
驚いたように、しかし好意的に言った、
「翠流さんて、オシャレですね・・・。それって、どこで買ったんですか?」

アロハの季節が終われば、
やがて、ロングカーディガンの季節がやってくる。
私は、今年もまた、お気に入りの、メンズライクの、レディースの、
ロングカーディガンを着て、ショッピングモールを歩く。
今日は、ラウンドネックの下の薄手のタートルも、柄物のレディースだった。
先日私は、ある店の、メンズのコーナーに満足できなくて、
レディースのコーナーに行った。
昨年もそうだった。
被害妄想か否か定かではないが、
私に圧力をかけるように近づいてくる女性客。
しかし私は、心の中に幾ばくかの動揺を与えられても、
平然と、買い物を続けられるようになった。
それは、私に、新しく与えられた幾らかの解放と、長すぎる歳月を経ての開き直りと、
法務省が、人権擁護の主要課題に、マノリティーの人権擁護を掲げるようになったという、
時代の変化があるからだろう。
しかしもしも、私が女であったなら、
長すぎる抑圧の歳月はなかった。

私が常連となった、某レストラン。
その、なぜかもう1年以上、レディースデーをやっていないレストランの、
まだ若い女性店長は、笑みを浮かべながら私に言う。
「翠流さんて、ほんとうにオシャレですね。この前も、ほかの人と話してたんですよ・・・」
たとえ職業的な笑みであっても、私はその言葉に癒される。
しかし、時代を見れば女たちは、私より遥かに自由で、
消費の世界の一層の主役となった彼女たちと私の距離は、
むしろ、広がり続けていると思う。
女たちには、限りなく美を求める自由があり、
男たちには、それを阻む圧力がつきまとう。

私より遥か後方にいて、
美を剥奪された閉鎖空間に住み続ける男たち、
彼らは果たして、本当に、今の自分に満足しているのだろうか ?
彼らは実は、本質的には美を求めつつも、
不器用に、無理をして、既成の、「男らしさ」というジェンダーの呪縛の中に、
閉じ込められているのではないだろうか ?
呪縛を捨てれば、新しい幸せが来るというのに・・・・・。

私は自分が、マジョリティーであることを願う。

私たちは、本来、絶対性のないジェンダーの呪縛から自由のはずであって、
生まれ落ちた性別によって、求める世界が制限されてよいはずはない。
外部注入としてのジェンダーの呪縛は、
個性に対する不当な性的偏見として、理不尽なジェンダーハラスメントを引き起こす。
「男性として生まれた」という事実は、
何を求め、どう生きるかという、その人の本質を決定しない。
それは、インターセックスとして生まれても、女性として生まれても、同じである。
私たちには、自分らしく生きる自由が、あるはずなのである。


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