2015年07月20日

服装差別 ・・・ 「脱男性の時代」 (2)

渡辺恒夫の「脱男性の時代」の、2回目の紹介文である。
今回は、まず服装に関わる私の感受性を記し、
続いて、この本の関連部分を引用する。
このような記事を書く背景には、
私や、私と類似した感性を持つ男性が、
男性であるが故に回避できない被差別感を、
渡辺恒夫の言葉を借りながら、
顕在化させたいという思いがある。
この思いは、このブログの名称の下に記した憲法第13条(個人の尊重)の理念によって、
擁護されなければならないと考える。

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既に小学校6年の時から、私は、
社会には、男性に対する「服装差別」が存在すると、
強く感じてきた。
それは私の感受性の為せる業であって、
理屈の所産ではない。
ここ数年の経験からすれば、私は、
秋から翌年の春にかけて、メンズライクではあるがレディースの、
ロングカーディガンを着て街を歩くようになって(注1)、
その思いを一層強くするようになった。
    (注1)記事「ロングカーディガン」参照
           ・・・・・記事カテゴリーは、「日記・つぶやき・愛の世界をあなたに」

レディースの衣料は、色も柄もデザインも、溢れるばかりの種類に彩られ、
女たちは、それだけでも充分に幸せなのであるが、
着てみればそれは、実は視覚的な意味合いだけではなくて、
肌を通して、つまりは皮膚感覚によって、
更なる幸せを与えるように仕立てられていると実感する。
それは、男たちを疎外し、女たちが占有する世界である。

美しさや様々の彩りだけでなく、肌の喜びも剥奪されたメンズの衣料は、
私たちの社会に存する男性への性別観に類似して、
男たちを、外部注入によって、硬く粗雑な世界に閉じ込めようとする。
それは、私の感性からすれば、
紛れもない、ジェンダーハラスメントなのである。

もしも男性の衣料に、レディースと同等の要素があれば、
私は、レディースのロングカーディガンを着ることはない。

     ◆     ◆     ◆

「脱男性の時代」から、関連部分を引用する。

 【p.78〜79】・・・近代市民社会にあっては、女性の美が前代にも増して尊重され称揚され
    る一方、男性の美は無用とされ、それどころか、男性は美しくあってはならないと
    する不可視の規制力が、私たちの内面を支配し、美意識を根底から条件づけている
    のが見られるのである。このことは、今日、街頭で見受けられる女性の服装が、美
    を際立たせるよう巧みに工夫されているのとは対照的に、男性の服装が、美的な要
    素の排除を基調として組み立てられているかに見えることからも、充分裏書きされ
    ることであろう。かかる社会にあって、生来美的な感受性に恵まれた少年が、成長
    するにしたがい、自分は美しくもなければ美しくあってもならない方の性に属して
    いるのだということを、ことあるごとに思い知らされ、深く心を傷つけられないと
    したら、かえって奇妙なことと言わねばなるまい。

  続いて渡辺恒夫は、横溝正史の小品「蔵の中」の一文を掲載する。下記はその一部。

 【p.79〜80】】・・・そのうちにこれではまだ満足できなくなって、長持ちの中から、姉の
    形見の振り袖を取り出すと、それを自分の身につけて見ました。さやさやと鳴る紅
    絹裏の冷たい感触が、熱っぽい肌をなでて、擽るようなその快さ、・・・(中略)・・・
    私はしばらく驚異の眼をみはって、茫然としてこの美しい、・・・(中略)・・・そのう
    ちに何とも言えぬほどの寂しさにうたれました。ああ、私は何だって男になど生ま
    れて来たのであろう。女に生まれていたら、毎日こうしてお化粧も出来、色美しく
    肌触りのいい着物を着てくらせるのに、男に生まれたばっかりに、こんなゴツゴツ
    とした、くすんだ色の着物よりほかに着ることも出来ず、お化粧をするわけにも参
    りません。何という勿体ない事であろうと私は思わず、ふかい溜め息をつくのでし
    た・・・・・・。

今回は、ここまで。


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posted by 翠流 at 23:32| Comment(0) | 書籍紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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