2015年02月16日

マイノリティーの人権

このブログを立ち上げる時、
私は、自分の位置を示すために、
憲法14条だけではなく、13条も引用した。
それは私が、自分の中の非凡を意識するからである。
非凡は差別の対象になりやすく、
差別撤廃運動は、差別された人たちの中から始まる。

一般的に言えば、或いは概括的に言えば、
幸せの必要条件は、一つには「平凡」であって、
「非凡」は、社会的疎外の可能性が高いという意味からすれば、
不幸との契約であると言って、過言ではないと思う。
しかし、その「非凡」は、憲法13条があるがゆえに、
擁護の可能性から疎外されているわけではない。
たとえば私は、以前、
性的マイノリティーの人権を扱った本の中で、
同性愛の人たちを擁護する弁護士の発言を読んだ。
彼はその中で、憲法を引用して、
13条を立脚点としてたたかえば、
やがて必ず希望の光が見えてくると、語っていたのである。

私自身は同性愛ではなく、バイセクシュアルでもなく、異性愛であって、
また、典型的な性同一性障害でもないのであるが、
しかし、だからと言って、normal male であるわけではなく、
やがて渡辺恒夫の「脱男性の時代」から得る知識で言えば、
ハリー・ベンジャミンの言う「仮性異性装指向」であり、
更に後になって、MtFのRさんから得た知識によれば、
WHO(世界保健機関)の言う「両性役割服装倒錯」なのである。

振り返れば、私の、その萌芽は、
小学校6年の時であった。
季節は確か秋だったと思う。
私は、クラスの女の子が身に着けてきた衣類と同じものを、
買って身に着けたいと思ったのである。
しかし、当時の、まだ11歳であった男の子が、
自分で買うことなどできるはずもなく、
私はやむなく、嫌いな母親に頼んだのである。

しかしその時、既に私の中には、
この私の行動が、男の子として許されるものではないという意識が、
確かに存在していた。
その認識の起点がどこにあったのか、
私には記憶がない。
しかし恐らくは、私を取り巻く日常の中で、
外部注入的な強制力によって、
その意識は、形成されたのだろう。

母親は、私の予想通り、
その衣類を買ってくれなかった。
私には、それ以上の行動などできるはずはなかった。
私は心の中に、わだかまりを抱き続けた。
ところがやがて、大学時代に東京に出るようになって、
私は、中央線の吉祥寺駅の、確か駅ビルであったと記憶するが、
或るブティックで、メンズの、その製品に出会うのである。
私は非常にうれしかった。
つまり、この私の指向性に、フェティシズムは存在しない。

当時、その製品には、淡色系の綺麗な品物もあったし、
ブラウン系のチェックの製品もあった。
私はうれしかった。
今振り返るとこの頃は、男性のファッションが、
ジェンダーバイアスから、やや解放されていた感があって、
私はジーンズは履かなかったが、
スラックスにも、不自然ではない程度にフレヤードの製品があって、
私は好んでそれを履いた。
しかしやがて、この時代が終わり、
フレヤードのスラックスはなくなってしまう。
以後、私が履くスラックスは、
すべてオーダーとなった。

ところで、近年の日本の、性的マイノリティーの人権擁護の機運に関わって、
その契機を知りたいと思い、
関係機関に問い合わせの電話をする中で、
私は、法務省の人権擁護局人権啓発課から、幾許かの情報を得た。
私の電話を受けた男性職員によれば、
国が性的マイノリティーの人権擁護に踏み込んだ契機は、
当時の社民党の、ある議員の、国会質問だったのだそうだ。
やがてこの問題は、閣議決定を経て、
法務省のスタンスを変える。
人権擁護局は、2002年から、性的マイノリティーの人権擁護を、
「おもな人権課題」の中に取り入れた。
要するに、国が、性的マイノリティーの味方になったのである。
国が味方になれば、変革は進む。
この件からは、私自身も恩恵を受け、
2014年4月15日の記事「ロングカ−ディガン」を書けるようになったのは、
まさにその、恩恵の所産である。

要するに、社会的な機運の高揚は、
国のスタンスの変化、そしてその結果としての社会の変化に負うものであって、
LGBTの人権擁護は法務省、そして、
男女共同参画という美名を使いつつの、実態としての女性優遇運動は、
内閣府の男女共同参画局が、その発信基地となっている。
しかし、私がこのブログで採り上げているような男性の人権問題、
或いは、解消されるべき男性差別問題については、
国はその味方にはならず、むしろ、
今、巷で一層の流行を見せている女性優遇配慮を、黙認・是認・推進することによって、
男性差別を拡大させている。

その背景には、
「かつて女性は差別されてきた」という論理だけがあるわけではなく、
いずれまた別の機会に書くこともあるだろうが、
恐らくは、かつて、戦前戦中の男性教育の中で、
戦争の道具として増幅させられた「男らしさの規範」、つまりは、
男性集団の中に存在する多様性を無視し、
「美しさを纏う権利」や「涙」や「尊厳としての羞恥」や、
「苦しさを訴える権利」「救いを求める権利」を剥奪し、
唯々、「戦いに勝つための道具」「強くあるべき道具」「耐えるべき道具」「守る役割を果たすべき道具」としての性別役割の、
外部注入的強要によって形成されたジェンダーバイアスの価値観が、
既に戦後70年を経過した今日にあっても、
日本の社会に根深く存在し、
「男らしさの規範」の同調圧力として、
男性を呪縛しているのである。

男女共同参画は、「固定的性別役割からの解放」を、理念の一つとして掲げ、
私は、多様性尊重の理念を失することがなければ、
この男女局の理念に、共感、賛同するが、
しかしその解放は、特に女性に於いて顕著なのであって、
男性解放は、今も遅々として、進んでいない。
そして、その男性解放を阻害している主役は、恐らくは、
ジェンダーギャップ指数によって示される女性差別の指標としての圧倒的多数の男性議員を含め、
社会の上層に位置し、施策の根幹を握っている男性たちにあると感じるのである。
彼らは、上述の如き性別役割の、男性に対する同調圧力的強要を保持したままであるが故に、
例えば、男性に顕著な危機、自殺・孤独死・引きこもり・癌死のような事象に対しては、
その危機を、或いは、その危機に対する支援のメッセージを、抑制的に表現する。
そして、既に多数の例を提示してきた災害対応の女性優遇配慮についても、
男性への配慮の脆弱、或いは配慮の不存在に、疑義を呈さないのである。
従って、このような男たちのスタンスによって、
マジョリティーであると表現されてきた男性集団の中に、
現実的には、男性であるがゆえに脆弱な配慮しか得ることができないという意味での、
マイノリティーの領域が拡大する。
つまりは、ジェンダーギャップ指数として提示される日本の女性差別の現実は、
実は、その内実として、社会上層の男たちの同調圧力に起因する男性差別の領域を含むと、
認識されるのである。


posted by 翠流 at 01:03| Comment(0) | ジェンダー・アイデンティティ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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