2014年10月27日

山田昌弘さん(中央大学教授)の言葉

ブログのコメント欄で、ある人が、
ワレン・ファレルの「男性権力の神話」(久米泰介訳.作品社)を、
紹介してくださった。
その推薦文を、中央大学の山田昌弘さんが書いているが、
その冒頭に、つぎのような一節がある。
山田さんは、この言葉で、
私の問題意識を、的確に代弁してくださっているように思われた。

   「なぜ女性のつらさは問題にされるのに、
        男性の生きづらさは問題にされないのだろう。」

私は、この一節に共通する思いを、
たとえば、記事「男性の自殺(1)」の中で、
次のように表現してきた。

   しかし、自殺が男性に多いことは、
   毎年変わることのない厳然たる事実であって、
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   自殺の性差が、もしも逆であったなら、
   日本中が大騒ぎになっているような気がする。
   女性団体も、社会の上層部の男たちも、男女共同参画も、
   その現実を放置しないだろう。
   保護を求める女性たち、保護を受け入れられる女性たち、
   しかし保護を求めることができずに、
   男性であることを背負い、
   孤独のうちに死んでいく男たちがいる。

自殺に限ったことではない。
健康支援であるにしろ、災害対応であるにしろ、引きこもり問題であるにしろ、
男性が背負う危機や困難は、抑制的に表現され、
社会のセイフティーネットは、女性側に傾斜する。
その背景には、恐らくは「男らしさの規範」の同調圧力があり、
耐えるべき性別役割を背負う男たちへの支援は、
危機や困難の現実と乖離した脆弱さの中にあり、
それを脱却することができない。

山田昌弘さんの推薦文の、
全文を次に記す。

・・・・・・・・・・・・・・・・

【生きづらい男性が増えている日本社会のために必要な認識】・・・・・ 山田昌弘

 なぜ女性のつらさは問題にされるのに、男性の生きづらさは問題にさされないのだろう。本書の著者であるワレン・ファレル氏は、この問題意識から、これでもか、これでもかと、男性が女性に比べ「生きづらい」例をあげていく。アメリカ社会では、男性の方が7歳も早く死ぬ。自殺者も多い。戦争に駆り出される、犯罪は厳しく罰せられる。そして、お金を稼いで妻子を支えるよう仕事をさせられ、企業は男性を使い捨てにする。ファレル氏は、このような男性に不利な状況を「ガラスの地下室」と呼ぶ。ガラスの天井とは、女性が経済的に活躍したくて上を目指しても見えない壁に阻まれてしまうことを言う。一方、ガラスの地下室は、いつのまにか見えない壁で囲まれていて、そこから出られなくなってしまう状態を表している。しかし、男性には権力があると言われていることで、それ自体、問題にされることもない。
 読んでいて、この状況は、アメリカよりも日本によく当てはまるのではないかと思ってしまう。日本でも、男性の平均寿命は女性より7歳短く、自殺率は高い。何よりも「男性が妻子を養うべき」という意識は、アメリカ以上に強い。2012年の内閣府の国民生活に関する 世論調査によると、生活満足度の質問では、生活に満足していると答えた人の割合は、20代女性の年齢層で最高で75%、最低は、50代男性で、50%である。平均小遣い額も、年々、低下を続け、既婚男性では昼食代を含め月約3万円である。学生が、自分の小遣いよりも少ないと驚いていた。そして、収入が低い男性は、結婚相手として選ばれないし、離婚されやすい。また、近年そのような男性が増えているのである。確かに権力をもって、それを十分に使い優位に立っている男性もいるだろう。しかし、権力をもっていると言われながら、社会的に生きづらい男性が増大していることは確かなのだ。
 ファレル氏は、だから、女性差別はこのままでよいとか、昔に戻れと主張するわけではない。今までの運動が、近代社会で生きづらい女性を生きやすくするための運動であったなら、今後は、男性を生きやすくする男性運動が求められている時代であることを強調する。本書は、アメリカについて書かれたものだが、むしろ、生きづらい男性が増えており、「男は強い」という考え方が残り続けている日本社会でこそ、本書で展開されている状況の理解が必要ではないだろうか。


posted by 翠流 at 01:00| Comment(1) | 人権擁護への思い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自殺者数の男女別の割合は全体的にみても男性の方が多く、それだけ男性は生死に関わる局面に立たされている事が多いことは間違いないのですが、社会はこれと言った対策を取ったことがないように思いますね。
もちろん政府としては、「何らかの対策はしている」と主張するでしょうが、現実的に改善されていないと言う事は「対策そのものが的外れ」であり、それは「何もしていない」のと同じ、或いは、それ以下と言えるでしょう。
と言うか、本気で対策をする気なんてないのは明らかで、本音はこうでしょう「女性は可哀相だからなんとかしてあげなきゃいけないが、男性を見殺しにしても世間が責めないので今のままの無対策でよい」という感じでしょうか。まったくふざけた話で、これで男女平等を謳うのですから呆れたものですね。
私からすれば、国連なんかの男女平等度指数なんか、基準に「自殺の比率」は絶対に含んで統計を取ってほしいくらいです。

※ 前回のブログの返信とわたしのブログに下さったコメントはきちんと読ませていただいております。
わたしのブログのコメントは「非公開扱い」と言うことですのでそれに従わせていただきました。
Posted by やぐるまの鏡 at 2014年10月31日 23:02
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