2014年05月22日

男性の羞恥心 (2)

 同じ男性であっても、羞恥心の質は人によって違う、ということを、今回は書こうと思う。私は、学生時代、東京の中央線沿線の閑静な住宅街で下宿生活をしていた。その家には大学生の息子(A君)がいて、彼と私ともう一人、私と同じ大学に通うB君が、二階で生活をしていた。私たちは、よく、A君の部屋で雑談に興じたが、あるとき彼が、骨折で入院手術を受けたときの経験を話してくれた。それが、中学時代であったか高校時代であったか、私の記憶は定かでないが、いずれにしても、特に羞恥心の強い年代の経験である。もっとも、彼は話しをしてくれたのであるから、話せない人に比べれば羞恥心は弱いという見方もできなくはないが、彼は入院中、強い羞恥を伴う処置を二つ受けた。A君は、その経験についてこう言った。「一つの処置は院長(男性)だったからまだよかったが、もう一つの処置は看護師さん(女性)だったので、死ぬ思いだった」と。

 たいへん気の毒な話しである。ただ、この話しを聞いて、私は、A君の羞恥に対する感受性に、私と違う部分があることを感じた。彼に聞いて確認したわけではないが、察するにA君は、少なくとも羞恥の強い処置を受ける時の施術者は、勿論それが男性あっても嫌なのではあるが、女性であるよりは男性の方がよいのである。しかし、デリケ−トな話であるからよく聞いていただきたいのであるが、私は、医師は男性がよいが、男性看護師に対しては、はなはだ失礼な発言で申し訳ないが、強い生理的嫌悪感があり、拒否の感情が強いのである。血圧の測定や腕への注射くらいならまだよいが、「清拭(からだをふく)をします」などと言って、男性看護師が私の病室に入ってくれば、私には非常に強いストレスがかかり、心の状態は間違いなく悪くなる。病状にも影響が出るかもしれない。ところで、医療関係者は、こういう、私のような感受性の男性の存在を認識しているのだろうか? いや、認識している人はいる。実は以前、私が、全身のレーザー脱毛を求めて、ある大手美容系クリニックに行った時、私の初診を担当してくださった男性医師は、こういう私の気持ちを非常によく理解してくださった。少なくとも、男性看護師に対する感受性については、彼と私は同じだったのである。

 では、女性看護師に対してはどうか、というと、これもまたデリケ−トな話しなのであるが、まず一般の女性と女性看護師は、たぶん皆さんもそうであろうが、「質」の違う存在なのである。一般の女性は、要するに一般の女性なのであって、その人たちは、唯々、私にとっては羞恥の対象としての存在であって、それ以外ではあり得ない。だからたとえば、ある女性が私の病室に見舞いに来てくださった時は、その人が部屋に入れば緊張するし、自分の身繕いを気にして動揺もするし、もしもそのとき看護師が医療処置で部屋に来れば、仮にそれが血圧や体温の測定や採血であっても、気を利かせて、部屋から出て行ってほしいのである。医療処置の時に、医療従事者以外は、そこにいてはならないのである。病室での採血と職場集団検診での採血は違う。

 では、女性看護師に対する羞恥はどうなのかと、そういう問題になるが、一般の女性が、唯々、羞恥の対象でしかないのに対して、女性看護師には一般の女性とは異質な面がある。それはまず、彼女の「医療者」としての支配力は当然あるが、それだけではなく、彼女は女性であるが故に、そこには、属性としての「母性」が存在する。だから、そうであるが故に、女性看護師への拒否の感情は、彼女の医療者としての位置とその母性によって、陵駕、駆逐されていくのである。だから、要するに、男性看護師に対する生理的感覚等を含め、このような複数の感覚のバランスの在り方によって、患者の、医療者に対する感覚の在り方が決まる。医師の場合は、看護師とはまた別の要素が関係する。
 なお、関連して、以前の記事「男性更衣室」で取り上げた女性清掃員は、唯々「一般の女性」でしかあり得ないのであって、羞恥の存在そのものなのである。「男性更衣室に女性清掃員が入るのが嫌なのなら、看護師だって女性より男性の方がよいのでしょう」と言う人がいるようであるが、現実はそれほど単純ではない。

 介護の問題も同様である。もう10年以上前のことになると記憶するが、ある新聞に、「同性介護」を主張する介護士希望の女性実習生の文章が載っていて、私は、彼女の、単純に決めつける論理に、非常に強いストレスを感じたことがある。彼女の主張は、とにかく「同性介護の絶対化」で、要するに、私のような男性の存在に、全く気づいていないのである。或いは女性の場合は、「同性介護」を求める感情に一般性が高いのかもしれないが、男性の場合は必ずしもそうではない。粗雑な画一化論理の、暴力性に気づいてほしい。あのときの、あの女性実習生の文章は、今思い出しても、悪心を覚えるのである。

 要するに問題は、医療や看護や介護を受ける人たちの感受性を、医師や看護師や介護士が、どのように捉えるか、という問題なのである。性別の違いを軽率に使った、感受性の二項対立的単純化が、不当な性的偏見を生み、処置や介護を受ける人たちに強いストレスを与えることがある、ということを、医療従事者は認識すべきなのである。先入観を捨てることが大切だと思う。処置を受ける人たちの感受性に先入観を捨てて向き合い、その人の真の姿を捉えなければならないと思う。


posted by 翠流 at 22:34| Comment(3) | 男性の羞恥心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
更衣室やトイレにも通じる問題ですね。
更衣室であれば、男性には更衣室が用意されず、物陰での着替えを強いられたり、
トイレであれば通路から丸見えであったり、女子トイレがあるのに男子トイレがなく、
選択肢は男女共用だけしかない、という事例がそれにあたるでしょう。
どれも男性には羞恥心がない、或いは例え羞恥心があっても、合理性のために
犠牲にして構わないといった、男性への人格軽視が存在するようです。
そしてこの問題は、単に性別への偏見の域を越えてしまい、およそ無意味な女性
優遇へと悪い方向への進化を見せています。
最近は、男性医師に裸を見られたくない女性のために女性専用外来というのが
見られるようになりましたが、あれこそまさにそうです。
女医に診てほしい女性患者は、その女医に当たるように調整してもらえば、その
目的を完全に満たせます。
そして、受益者負担の原理の通り、順番が後ろにずれる事によって生じた待ち時間
の延長を代償として受けるわけです。
しかし、それで充分目的が達せられるにも関わらず、女性専用という発想に一足飛び
し、それが実現されてしまった現状にあります。
この時、女性は男性医師に診られない選択ができる特権と同時に、一つの診察室が
女性専用になる事で待ち時間においても男性より有利になります。
一方男性は、一切のメリットなく、ただ本来あったはずの診察室が一つ減り、
待たされる時間が伸びただけになります。
もはや、羞恥心に対する偏見すら越えてしまった歪みが現代にはあると思います。
とかく、女性を腫れ物扱いするがあまり、男性への扱いがぞんざいさを増している
この世情は早急に改善されるべきと思います。
Posted by 一見サン at 2014年05月24日 16:06
「一見サン」様
 コメント、ありがとうございます。
来訪いただいたことに、たいへん感謝しております。
しかし今は、酩酊船の中ゆえ、返信は明日。
ご容赦ください。
Posted by 翠流 at 2014年05月25日 01:36
「一見さん」様

返信が遅れ、申し訳ありませんでした。
共感的なコメントをいただき、非常に感謝しています。

> どれも男性には羞恥心がない、或いは例え羞恥心があっても、・・・・・・・
 犠牲にして構わないといった、男性への人格軽視が存在するようです。
 そしてこの問題は、単に性別への偏見の域を越えてしまい、およそ無意味な女性
 優遇へと悪い方向への進化を見せています。

> もはや、羞恥心に対する偏見すら越えてしまった歪みが現代にはあると思います。
 とかく、女性を腫れ物扱いするがあまり、男性への扱いがぞんざいさを増している。
 この世情は早急に改善されるべきと思います。

全く、おっしゃる通りだと思います。
男性に対する人権無視、人権軽視のもとに、
男性差別の「女性の特権階級化」が、日本の至る所で進行しています。
これが、憲法第14条を擁する日本の姿かと、
本当に信じられない思いです。
私は、塵のような一個人でしかありませんが、
平等な人権尊重の社会を求めて、
発言を続けたいと思います。

来訪、ありがとうございました。
Posted by 翠流 at 2014年05月25日 23:28
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