2014年04月02日

【返信3】 被災地の「市民権様」へ(3)                    「男女局と災害対応について(続き)」 

 今回は、今も日本の社会に広く根深く存在する「男らしさの規範」によって、男性が、受けている不利益について、書きたいと思います。

 東日本大震災に関わって言えば、1月14日に掲載した記事、「被災地における、女性の悩み・暴力相談事業」に書きましたように、発災直後の岩手と福島の「男女共同参画」部局には、男性を対象とした「相談電話」はなく、女性に限られていました。同様の状況は、恐らくは今も、全国に非常に多くあると思います。このような状況は、例えば自殺率の性差を考えたとき、どのように評価されるべきなのでしょうか。記事「男性の自殺(2)」に、具体的な数値を書きましたように、この10数年間、男性の自殺率は、女性の約2.5倍を記録してきましたし、それ以前のデータを見ても、男性の自殺が女性より少なかった年はないのです。震災関連の自殺についても、既に別の記事で取り上げましたように、その7割以上だ男性だったのです。

つまり、自殺対策の部局はあっても、「自殺が男性に多い」という現実に対しては、その施策は成果を収めていないと言って過言ではないのです。このような事実を踏まえて、男女共同参画の電話相談のあり方考えた時、岩手と福島の「男女共同参画」部局が、相談電話を女性に限定していたことは、どう評価されるべきなのでしょうか。改めて引用すれば、男女共同参画社会基本法三条には、「男女の個人としての尊厳が重んぜられること」「男女が性別による差別的取扱いを受けないこと」「男女の人権が尊重されること」が謳われているのです。女性限定電話相談は、この「第三条」と乖離してはいないでしょうか。たとえば相談電話として利用者の多い「いのちの電話」がつながらなかった時、女性は男女共同参画に電話をすることができた。しかし男性には、その権利が与えられていなかったのです。

 このような女性優遇配慮については、「男女共同参画部局の多くは、その前身が女性支援センタ−だったからだ」という主張があります。しかしそれは逃げの論理でしょう。自殺問題に関わって、いのちの重さを考えれば、それは明白のはずです。本来なら、「女性支援センタ−」が「男女共同参画」に名称を変更した段階で、男性も相談の対象とすべきだったのです。「男女共同参画」とはそういうことなのです。

 男性を相談の対象にできない理由として、男女共同参画部局は、よく、「女性相談員しかいない」ことをあげます。しかし、少なくとも精神面での相談活動は、記事「自殺予防フォ−ラム」にも書きましたように、相談者と相談員が同性でなければならないとか、同性であれば成功するとか、そういう限定的で単純な性質のものではないのです。

 ところで、相談件数の男女比について、ある講演会の講師が「男性より女性の方が多い」と言ったことがありました。しかしそれが一般的事実であるとしても、それが苦しみの指標になるわけではない。男性は、苦しくても相談しない傾向が強いからです。その理由は、個性の問題も含めて単一ではないかもしれませんが、一つのには、男性に与えられた「性別役割」、つまりは「男らしさの規範」の問題があると思います。要するに男性は、「強くなければいけない。一人で苦しみに耐えなければいけない。一人で苦しみを克服しなければいけない」というような精神的呪縛を、生育過程や社会生活の中で与えられ、それが自分の行動の規範になっている。そして、男性は、自分以外の男性に対しても、そういう「男らしさ」を要求するのです。それは、「相談」という行為自体を否定する呪縛として、男性の中に存在すると思います。だから男性は、苦しくても相談することなく、孤独のうちに追い詰められ、死んでいくのです。

 昨年の、確か秋に、私が内閣府に問い合わせの電話をした時、受けてくれた男性職員が、男性の「固定的性別役割意識」の問題が、内閣府でも話題に上るようになっていると言っていました。それは、今後、もしかすると一つの救いを与えてくれるかもしれないと、淡い期待も持ちますが、しかしそれが、安定した価値観として社会に根を張るのは、遠い先のことのように思いますし、性急な改革は、かえって男性に、新しい精神的負荷を与えるようにも思います。例えば、今の社会を見れば、就職活動に失敗して自殺をする若者が増え、その8割以上が男性であるという事実がある。私はそこに、優遇を含む女性解放が進む一方で、「家庭を守る責任」を含め、男性としての「性別役割」を背負い、現実との狭間で、呻吟する若い男性の姿があるように思うのです。

 東日本大震災への男女局の対応については、今まで、男性のプライバシ−への配慮の欠落や、支援物資の女性限定配慮等を中心に、その不当性を訴えてきましたが、男性軽視はそれだけではありません。男性には、上述のように、「耐えなければならない」、そして「女性を守らなければならない」というような、「自己犠牲の性別役割意識」がある。そして率直に言えば、女性優遇配慮を推進してきた女性活動家たちは、その、男性の「自己犠牲の性別役割意識」に光をあてることなく、自己本位の、女性限定配慮の災害対応を、あたかも奔流の如く行なってきたと思うのです。つまり、男女共同参画部局や女性団体を主役とする災害対応は、まさに、男性差別の施策そのものであったし、今日の岩手もまたそうであると、私は「市民権さん」から得た情報を手にして、実感するのです。


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