2013年08月12日

トイレの男性差別 (1)

排泄や、着替えや、入浴に関わる差別は、
心に、非常に強いストレスを与える。
それは、人間としての尊厳が、傷つけられ、踏みにじられることだ。
それは、怒りと、怨恨を生む。

以前、ある医療系の本で、
女性看護師が、羞恥に対する配慮について、書いた文章を読んだことがある。
彼女は、「羞恥心の強さは人によって違う」という立場で、文章を綴っていた。
彼女の文章には、「男性と女性では・・・」というような、
二項対立的な視点は、全くなかった。
それが、私には、非常に嬉しかった。
彼女は、羞恥について、個人の特性に配慮する人間であった。
男性であるからといって、羞恥心を軽視するような人間ではなかった。

私が今通院している皮膚科医院は、
たとえ上半身のわずかな部分であっても、見せなければならないときは、
看護師が必ずカ−テンを引く。
私は、その配慮に、非常に心が安らぐのである。
私が左の眉の上を切ったとき、院長は、
一番細い糸、美容外科で使うという糸で、
非常にていねいに縫って下さった。
もちろん、どの患者に対してもそうであろうが、
院長は私の感受性を知っていて、
それを大切にしてくれているのである。
今はもう、そのときの傷は、人目にはわからない。

私が通院している、ある消化器系の個人病院は、
男性トイレの小便器の間に、
きちんとした境界を作っている。
だから私は、精神的にとても楽なのである。
人目を気にしなくて済むのは、こんなに楽なことなのか・・・・・と。

男性の羞恥心は軽視される傾向にある。
羞恥心を持つのは男らしさに反するというような、不当な価値観や、
その価値観の押しつけも存在する。
感受性は多様であるのに、
個人の感受性の強さとは無関係に、
男性であるが故に与えられる、不当な性的偏見。
そして、それに基づく、人権の無視、軽視、人権侵犯。

それは、以前このブログで取り上げた更衣室等の問題だけではなく、
トイレの問題についても、
次のように、「男女共同参画の視点からの防災・復興の取組指針(案)」の中にも存在していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
● 3月に公開された「指針(案)」のトイレ設置数に関する記述 ・・・・・・・・@
  それに対して私が4月に内閣府男女共同参画局に送った意見 ・・・・・・・・・・A
  そして、5月に公開された「指針」のトイレ設置数に関する記述 ・・・・・・B  を次に記す。
  @にはトイレの男性差別があるが、Bには男性差別の改善が見られる。

@ 「男女共同参画の視点からの防災・復興の取組指針(案)」・・・・・ p.12 下から4〜2行目

 トイレの設置数の割合は、できるだけ男性:女性=1:3となることが望ましい。また、ユニバ−サルデザインのトイレも併せて設置することが望ましい。

A @について、私が、内閣府男女共同参画局に送った意見

 トイレの設置に関しては、指針(案)の比「男性:女性=1:3」が、あまりにもショックであったために、私は、憤りから、意見交換会では、あえて「1:1」にしてほしい」と発言した。「女性はトイレに時間がかかる」という認識は私にもあるが、設置比「1:3」は、男性の排泄の場の確保とプライバシ−に対する配慮という点では、あまりにもひどすぎるのではないか。私は、女性の多い場所で生活することが多い。たとえば、私は、週に4回、モダンバレエ・ジャズ系のスタジオでダンスのレッスンを受けているが、レッスンの合間の、女性のトイレの所要時間を振り返ると、「女性に生理があること」を、それに加味しても、所要時間に1:3の開きはないと感じる。意見交換会終了後に、ある女性が、私に近づいてきて、こう言った。「トイレの所要時間は、男性:女性=3:5ですよ。だから1:3にまでする必要はないと思うけど・・・・・」。指針(案)の男女比「1:3」は、男性に対して、「小用は外でしろ」と強要するような、ジェンダ−ハラスメントであると私は感じる。
 私自身の感受性について書かせていただければ、東日本大震災のとき、私の居住地でもガソリンを入れるのが困難となり、私は、約半日間待たされて、ようやくガソリンを入れたが、待つ間、付近に民家しかなくなり、小用に非常に困ったことがあった。私は、車を降りて周囲を走り回り、ある墓地の、周囲を囲む高いブロック塀の、人からは絶対に見えない場所にたどり着いて、ようやく小用を足したのである。そういう感受性の男性の人権を、どのように考えるかという問題だと思う。意見交換会の当日配られた「解説・事例集(案)」の28ペ−ジの欄外には、トイレの設置比「男性:女性=1:3」について、それが「スフィア・プロジェクト」による国際的な基準であるとの記載があるが、私という人間の排泄に対する感受性という立場からすれば、「1:3」が妥当である根拠など全くない。比は「3:5」に是正されるべきである。
 プライバシ−、あるいは羞恥に対する感受性は、「男性」と「女性」というような単純なカテゴライズでは、絶対に説明しきれない。感受性は多様であり、グラデ−ションのような様相を呈して存在するのであって、「性による違い」などという単純化された視点は、必ず、私のような男性に対する人権の軽視、あるいは無視、そして人権侵犯を発生させる。その苦しさを鑑み、軽率な判断は絶対に謹んでほしいと要望する。指針(案)の「ユニバ−サルトイレ」の設置には、「性的マイノリティ−に対する配慮」もあると、解説・事例集(案)に記されている。しかし、私のような感受性の男性に対する配慮はどこにもない。「私のような男性」の人権は無視されているのである。この深刻な事実に対して、日本国憲法直下にある男女共同参画局として、責任と愛のある対応を強く望む。

B @が修正された「男女共同参画の視点からの防災・復興の取組指針」・・・・・ p.12 4〜6行目

 仮設トイレは、男性に比べて女性のほうが混みやすいことから、女性用トイレの数を多めにすることが望ましい。また、ユニバ−サルデザインのトイレを最低でも1つは設置するよう検討すること。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
● ところで、「指針(案)」に付属した「解説・事例集(案)」下記Cと、完成した「指針」に付属した「解説・事例集」下記Dで、上記の内容に対応する部分の記述を比較すると、次のようになっている。

C 「解説・事例集(案)」(p.28)

 トイレは、安全面から、男女別に設置することが必要です。その数は、男女比を1:3とすることが国際的な基準(スフィア・プロジェクトに基づく)とされていることも踏まえて設置することが望まれます。

D 完成した「解説・事例集」(p.29)

 男性に比べて女性の方がトイレの所要時間が長いことなどから、国際的な基準(スフィア・プロジェクトに基づく)では、トイレの個室数の比率が男性:女性=1:3となるように計画し、可能であれば、男性用小便器も設置することが推奨されています。

CとDの比較
 Dに残っている1:3という比が、まず気になるが、その問題とは別に、CとDの文章を比較すると、国際的な基準(スフィア・プロジェクトに基づく)には、「可能であれば、男性用小便器も設置すること」という文章があったにもかかわらず、指針(案)には、それを記載しなかったと解釈することができる。もしもそうであれば、それは、男性に対する人権上の配慮の欠落として、非常に重大な、批判されるべき問題点であったと、私は主張する。その主張の立脚点は、私の感受性である。

 スフィア・プロジェクトに基づく国際的な基準」については、それが私の手元にないため、内容が不分明で、明確な主張ができないが、トイレの問題に関しては、1:3という比に対する疑義や、「男性用小便器も・・・・・」の文章の前に「可能であれば」という表現があることや、男性小用トイレの構造とプライバシ−の関係などについての記載がないことなど、いろいろな疑義を捨てきれない。

 しかしいずれにしても、指針(案)の文章@には、既に述べてきたような、男性の人権・プライバシ−に対する配慮の欠落があり、それはトイレに関する男性差別であった。
  
posted by 翠流 at 12:41| Comment(11) | トイレの男性差別 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。
初めてコメントします。

男性と女性では羞恥心に差があります。
一般的に男性の方が羞恥心が弱い傾向にあります。
なぜそのようなことになるのか考えてみたのですが、翠流様はどのようにお考えでしょうか?

私は、男の子と女の子の育て方の違いが最も大きな原因ではないかと思います。
生物学的に男性の方が羞恥心がなく育つことがあるとすれば、男性の方が力があること、性器の形状の違いが原因である気もします。
Posted by xavi at 2013年08月18日 20:29
xavi様。
 私は、このブログの別の記事でも発言していますが、基本的には、人間を男性と女性に分けて、その「違い」を論じようとする二項対立的な考え方は好きではありません。なぜなら、私の願うところは「人権の尊重」だからです。二項対立的な視点で、男性と女性の平均的な違いを説明すると、平均から離れた位置にいる人は疎外されるのです。私には、そのつらさ、苦しみがわかります。二項対立論は、私のような人間にとっては、人権軽視、人権無視、人権侵犯なのです。
 ところでxavi様は、「男性と女性では羞恥心に差があります。一般的に男性の方が羞恥心が弱い傾向にあります」とおっしゃっていますが、必ずしもそうではないということを、私はいずれ、このブログに書くことになるのではないかと思います。
Posted by 翠流 at 2013年08月19日 02:57
 続けます。xavi様のコメントにある「男の子と女の子の育て方の違い」については、私は、記事に書いたような視点で関心を持っています。改めて書けば、次の通りです。

    羞恥心を持つのは男らしさに反するというような、不当な価値観や、
    その価値観の押しつけも存在する。
    感受性は多様であるのに、
    個人の感受性の強さとは無関係に、
    男性であるが故に与えられる、不当な性的偏見。
    そして、それに基づく、人権の無視、軽視、人権侵犯。

Posted by 翠流 at 2013年08月19日 03:12
>>必ずしもそうではないということを
これは理解しています。
私も男性の人権軽視をよく思っていません。

「男性と女性では羞恥心に差があります。一般的に男性の方が羞恥心が弱い傾向にあります。」の「一般的
に」というのはそのような人が多いという意味で使いました。
実際、仇討の湯(女性から男湯が丸見え)、トイレや銭湯への女性従業員の侵入、男性の裸祭りなどは、多
くの男性の羞恥心が弱いから成り立っているものです。
嫌だと言えずに従っている男性も中にはいますが少数派ではないでしょうか。

私はそれほど性的羞恥心はありません。たぶん学校教育などのせいでしょう。
しかしプライドはあります。
女性は良いけど男性はダメだみたいなものを認めるわけにはいきません。

このことに関して他の男性はどのように思っているのか知りたくてググってみたところ、男性差別関連のブ
ログを見つけまして、そこのコメント欄から翠流様のブログにたどり着きました。
Posted by xavi at 2013年08月20日 21:14
xavi様。
 もしもあなたが性的羞恥心の弱い男性であるならば、性的羞恥心の強い男性のプライバシ−に対する配慮を忘れないように、心がけてください。私が男性更衣室(2)に書いた、鈍感な支店長のようにはならないでください。ところで、私の居住地に近いある個人病院の院長は、地方新聞の記者との対談の中で、次のように言っています。「昨年の一年間のデ−タでは、男女の患者さんの比率は 11:9 です。男性が女性より若干多い程度です。印象としては、若い人の場合、女性よりむしろ男性の方が恥ずかしがっているように思います」。この院長の診療科目は、書きたくないですが書いてしまえば、肛門科です。11:9 という比をどう見るかという問題はありますが、xavi様は男性の羞恥心を軽く見過ぎているのではないかと思います。また、内閣府男女局の震災関連のデ−タによれば、避難所で「プライバシ−が確保されていない」ことに困っていると答えた人は、女性で39.0%ですが、男性でも30.7%となっており、決して少なくはないのです。(続く)
Posted by 翠流 at 2013年08月21日 17:57
 上記のことも含めて、これからの記事で、再び取り上げることがあるかと思いますが、私自身の感受性について補足すれば、私は、以前勤めていた職場では、職員室の隣にある男女別のトイレは、緊急時以外は使用しませんでした。理由は、男性用小便器が近接していて、境界がないからです。私は、少し離れたところまで歩き、比較的広くて使用者の少ない男性トイレを使っていました。また、私は、洗濯物を干すときは、下着はすべて部屋干しです。私は今の居住地に来て20年になりますが、自分の下着を、外から見える場所に干したことはただの一度もないのです。私はお洒落ですから、ふだんは、上半身は下着を着ません。冬の寒い時にはTシャツを着ることもあって、それは干しますが、スラックスの下の一枚の下着は絶対に干さないのです。もう少し書きます。「仇討ちの湯」なるものには私は入りません。「女性従業員」の件については「男性更衣室」の記事に書いた通りです。「裸祭り」については、続けて次のコメントに書きます。
Posted by 翠流 at 2013年08月21日 18:09
 「裸祭り」については、参加の強要はないと思いますが、あれば私は何らかの法的措置をとります。ただ、「裸祭り」の場合は、一方で強い羞恥心を持ちながらも、別の感性から、参加したいと思う人がいるかもしれません。たとえば、以前、私は、祭りのポスタ−で、和太鼓を打つ褌姿の男性の後姿の写真を見たことがありますが、洗練された体型で、きれいでした(ことわっておきますが、私は同性愛者ではありません)。そういう男性の中には、いや、そうではない男性であっても、着替えのときはプライバシ−尊重を強く求める一方で、しかし、裸祭りには参加したいと思う人がいるかもしれません。私は、既にこのブログにも書きましたが、モダンダンス(モダンバレエ)を習って長くなります。私は、美しさを逸脱する衣装は着ませんが、羞恥心とは別の感性として、私には、美しければ肌を見せたいという思いがあるのです。以前、確か新進舞踊家公演だったと思いますが、若い男性ダンサ−の、裸体に近い美しい姿を見て、私は羨望を感じたことがあります。そういう心理は、羞恥心が強くても、別の感性として存在します。
Posted by 翠流 at 2013年08月21日 18:43
>男性と女性では羞恥心に差があります。

これは、「感覚的には正しい」と思われますが、「科学的に正しい」かどうかは、科学的データがないと何とも言えません。

まあ、「感覚的には正しい」として、もちろん、あくまで「一般論」なわけですから、「男女で線引きする」というのは、おかしな話です。何しろ、女性にも、男性にも、たとえ、その割合が違っても「羞恥心の強い人」はいるわけですから、「女性だけ善処する」というのは、「女性優遇」=「男性冷遇」=「男性差別」と見なされるでしょう。

Posted by ドクター差別 at 2013年08月30日 23:04
こんにちは、はじめまして。
虹蝸というものです。

トイレでの男性差別とのことで、
興味があったので書き込みします。

私は公立の高校に通っていたのですが、
そこでは、男子のトイレの入り口には扉がなく、
女子トイレの入り口には扉があるという、
わけのわからない事をしていました。
普通、扉をつけるのであれば、
立って排尿し、外から丸見えの男子のほうにつけるのが正しいのではないでしょうか?

また、私の通っていた公立高校というのは、工業高校なのですが、女子更衣室は存在するのに、男子更衣室は存在しないんです。
ですから、混みまくりの細い通路で着替えさせられ、
当然、丸見えです。
女子はその上の階に女子更衣室があるので、女子が上に上がるさい、こちらをみようと思えばみれるわけです。
これが逆だったら間違いなく許されないんでしょうけどね。

公立高校ですら、これなのですからフェミの洗脳というのは、かなり広がってるんでしょうね。
無意識のうちに「当たり前のこと」として、
どんどん広がってるんでしょうね。
Posted by 虹蝸 at 2013年09月07日 11:59
虹蝸様。
 まず、更衣室の件ですが、私なら、地方法務局の人権擁護課に出向いて、人権救済の申し立てをするような事案です。要するに、「男性に対する不当な性的偏見に基づく人権侵犯」です。
 私の知識の範囲で、もう少し詳しい発言をさせていただきますが、男女共学の普通高校であれば、基本的には、すべての高校に、男女別の更衣室があるはずだと思います。ただ、かつては生徒のほとんどが男子であった工業高校のような場合は、時代の変化(女子生徒の増加)に、施設の拡充が追いつかず、男子が教室(HR)で着替えるような高校はあるかもしれません。しかしそれにしても、「混みまくりの細い通路で着替えさせられる」というのはひどすぎる話で、校長や職員の対応が批判されるべきです。私なら、絶対に放置しません。
Posted by 翠流 at 2013年09月08日 10:50
虹蝸様
 続けてトイレの件について発言します。おっしゃることは非常によくわかります。男子トイレの入り口にも、絶対に扉をつけるべきです。ただこの件については、非常に難しい問題がある。具体的には(学年や学校によって異なると思いますが)、男子トイレの中で喫煙などの問題がおこる場合がある。もしも、そのようなことが、虹蝸様の高校であったとするなら、先生方も、扉の件については、苦慮していたのかもしれません。しかし、プライバシ−に関わる問題ですから、先生方には工夫をしていただいて、男子生徒のプライバシ−を守ることができて、しかも、中でおこる問題がわかるような扉、あるいはトイレ内の構造を作っていただかなければならないと思います。働きかけ方は、校内では、理解のある先生への働きかけ、或いは、署名活動等を含む生徒会活動などがあると思いますし、校外については、前述の法務局等があります。
Posted by 翠流 at 2013年09月08日 11:14
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