2019年08月15日

壊れてゆく男たち

壊れてゆく男たち

情報が、瞬く間に拡散する時代にあって、
例えば忌まわしい性犯罪のように、
社会的に処刑されることが自明の罪を犯し、
男たちが、毎日のように、社会的に死んでゆく。

過去に於いてもそれは同じであって、
事件が社会の表に出なかっただけだと言う人はいるが、
人の羨む社会的地位を捨て、
約束された生活の安定までもを捨て、
生涯に渡る忌まわしい噂を背負い、家族までもを引き連れ、
贖罪の道に踏み込む男たちが、
余りにも多すぎると思う。

性的な罪を犯す人には、もしかすると、
修復困難な病理を背負い、
再犯の道に踏み込む者がいるのかもしれない。
しかしそれは、恐らくは先験的なものではなく、
成育過程や、今置かれている生活の中にあって、
罪の回避への道は、あり得たのではないかと思う。

犯罪という、他者への加害行為が、日夜報道される一方で、
自身への加害、或いは加害的な行為もまた、男性に顕著なのであって、
例えば、既に繰り返し述べてきた自殺だけではなく、
孤独死や、引きこもりのような形をとって、
人生の悲惨や孤独や閉塞状況を抱える人たちもまた、
男性に多いのである。

しかしそれは、
それが「男性の」危機であるという理由によって、
社会から発せられる支援のメッセージは弱い。
危機は男性に顕著であるのに、
社会は、女性に対して、手厚い配慮のメッセージを注ぐのである。
社会の上層には、女性への優遇配慮を好む男たちが住み、
ネットを通して発信可能な女性たちの中の、
女性優遇活動家とでも括りたくなるような人たちは、
男性の危機を捨象して、
女性支援のメッセージばかりを発信する。
客観的事実と支援メッセージの間には乖離があり、
男性の危機や、命や、人生は、
軽視されているのである。

今回の記事には、「壊れてゆく男たち」という題をつけた。
初めは、その事例として男性犯罪を列挙しようと、
この1か月余りであろうか、
ネットニュースの対象記事を保存しておいたのであるが、
既に削除されたものが多く、ここに列挙できない。
しかし、日々のニュースから受ける生活実感として、
男性犯罪の頻発は、皆さんにも、
共通認識として、あるのではないだろうか。

「脱男性の時代」の著者、渡辺恒夫は、その著書の中で、
「21世紀は男性問題の世紀になる」と予見していた。
その彼の予見が見事に的中するかの如く、
近年の日本では、様々の男性問題が顕在化しているように思う。
平均的には、筋力の強さや、大きい体躯を自然から与えられ、
強い存在、強くあるべき存在として、
危機に耐えながら、守る役割を果たすべき性別役割を背負わされてきた男たちは、
実は、その、見えやすい強さとは裏腹に、
内実としての、危うさ、脆さ、弱さを、
背負っているように思う。