2018年03月05日

「女性専用車両」と今の時代 ・・・「男性専用車両」の設置を求めて

                                  (2020年9月:加筆)

◆ 女性専用車両問題は様々の微妙な問題を含み、私はブログでの発言を控える傾向にあったが、主張の対立が社会的に顕在化し、マスコミが広く取り上げるようになっていたこの時期に、私も、改めて自分のスタンスを整理し、明示する必要があると考えるようになっていた。それがこの記事を書いた契機である。

【1】 女性「専用」と名づけられた車両の、内実としての「任意性」については後で触れるが、鉄道会社が、痴漢被害対策として女性専用車両を導入してから、既に17年が過ぎた。この間、原田信助さんの自殺を含め、男性の痴漢冤罪被害の深刻さが社会的にクローズアップアップされたが、鉄道会社は、女性専用車両を全国に拡大させるばかりで、痴漢冤罪被害対策としての男性専用車両を全く設置してこなかった(注1)。これは、女性の危機には配慮するが男性の危機には配慮しないという、男性の人権を軽んじた差別であって、鉄道会社、特にその幹部は、社会的に糾弾されるべきと考える。私は、【7】で詳述するが、特に過密車両の中での痴漢被害対策としては、女性専用車両を上回る対策はないという判断から、その設置に賛成の立場であるが、一方で、男性の人生を破壊する痴漢冤罪被害対策としての男性専用車両を設置しない鉄道会社と、それを許容している日本社会の体質に、強い疑義、理不尽を感じている。
    
   (注1) 「女性専用車両は痴漢冤罪被害の防止にもなる」という主張(注2)があ
       るが、冤罪減少効果を主張しても、男女が共存する車両には、常に痴漢冤罪
       被害の可能性が存在する。男性専用車両を設置すべきである。
   (注2) このような主張をする人たちは、なぜ男性専用車両の必要性を主張しない
       のか。専用車両を女性限定の配慮にしたいという、特権願望でもあるのか?

【2】 平等の原点に帰って、利用料金と利用空間の平等性を考えれば、それだけでも、女性専用車両には不当性が存在する。男性は、女性と同じ料金を払っていながら、利用できる車両が少ないのである。この不平等に関わって、男性が現実的に遭遇する不利益の一例を挙げれば、一般車両の混雑時に、体調が悪いのに着席できない男性は、女性専用車両がすいていて着席可能であっても、そして、「専用」という言葉に法的拘束力はなく内実は「任意の協力」から成り立つことを知っていたとしても、男性は、女性専用車両には移動できないか、或いはしないであろう。それが一般男性の心理であることは、衆人の認識するところと考える。男性は、病いを背負っていても女性専用車両の空席に座ることができない。その身体的・精神的負担を考えれば、それは、男性に対する人権侵犯の処遇と認識されるべきだろう。このような主張に対して、社会には今も、「男なら我慢するべきだ」という同調圧力が存在し、横行するが、そのような性別役割の強要は、男性に対するジェンダーハラスメントとして認識されるべきものと考える。男性にも、危機や困難に配慮される権利は、倫理的にも法的にも、女性と同等に存在するはずなのである。ハラスメントとしての「男らしさの強要」は、社会的人間関係から切り捨てられなければならない。

【3】 鉄道会社の職員の中には、女性専用車両設置の理由として、痴漢被害の回避だけではなく、「男性とは同じ車両に乗りたくない女性」の存在を挙げる人物がいるようであるが、もしもそこまで言うのならば、「女性とは同じ車両に乗りたくない男性」の存在にも配慮すべきである。例えば、近年の女性の中には、とみに性的挑発傾向の強い服装をする人物がいて、そういう女性に強いストレスを感じる男性が、例えば私のように、存在することは事実である。特に、混雑した状況の中で、そのような女性と同じ車両に乗るのは、非常に不快である。女性からの性的刺激に翻弄されるのは、男性にとっては不可避の生得的宿命であって、強い性的刺激は、私のような男性にとっては、まさにセクシュアルハラスメントなのである。そういう被害から解放されるためにも、男性専用車両の設置を強く望む。

【4】 【1】に記したような、男性専用車両不存在のもとでの女性専用車両の拡大は、公共交通機関にとどまらず、日本の社会の様々の場面で、女性限定配慮を是認させる風潮を増幅させ、女性優遇社会、女性専用化社会の拡大を牽引してきたと私は捉えているが、ほぼ時期を同じくして、同様の社会的影響力を持つ事象が、私の知る範囲だけでも、少なくとも二つ、併行的に進行してきた。その一つは、今まで多数の事例と共に取り上げてきた、名ばかりの男女共同参画運動。要するに、男女の人権の尊重を謳った男女共同参画社会基本法第三条を擁しながらも、実際には、男性の人権を著しく軽んじた女性優遇配慮運動。そしてもう一つは、これもまた様々の事例と共に取り上げてきたが、消費の世界で拡大した女性優遇営業戦略。性差別の禁止が法の条文として存在するにもかかわらず、それが実効性持ち得ない社会状況の中で、女性限定サービスが、施設拡充を含め、日本全国で拡大した。要するに、このように進行してきた女性優遇社会拡大の一翼を担った、と言うよりはむしろ、その主役を演じてきたかもしれない「女性限定専用車両」の罪性を、私は強く認識するのである。

【5】 しかし、このような男性差別拡大の過程にあって、女性専用車両反対運動は、私のような、女性専用車両の存在を是認しつつ男性専用車両の設置を求めるスタンスではなく、「専用」という言葉の嘘、つまりは、「女性専用車両は男性の任意の協力のもとに成り立っている」という「任意性」を、司法の判断(注3)を根拠として提示しつつ、周知させる方向が主流となっていった。しかし私は、男性専用車両の設置を否定されつつも、この任意周知活動を担ってきた人たちに対して、敬意の感情を抱いていた。それは、要するに、公共交通機関に於いて、女性は、専用車両を与えられて男性を排除できる特別な存在ではなく、男性の協力の任意性が担保されてこその合法であるという司法の判断の周知活動、結局それは、「専用」という言葉を使った鉄道会社の嘘の暴露と、公共交通機関での女性の特権階級化を阻止する活動であると、私は認識していたのである。

   (注3)判決文の一例を記す。
     ◆ 大阪市が女性専用車両を導入した際の原審
          (大阪地裁 平成15年(ワ)第8046号 平成15年9月29日判決)
       女性専用車両の実施により、女性客にも男性客にも乗車車両について運送
      契約上の義務を負わせることはなく任意の協力によって行われているので、
      優先座席と同様であり、男性が女性専用車両に乗車しても運送契約違反にな
      ることもなく、一般車両に移動する義務もないうえ、何ら罰則もない。

【6】 この、任意性確認と周知のための乗車活動は、身の危険を覚悟しなければできない活動であったろうと推察する。しかしそれを、卓越した状況対応能力で切り抜けてきた活動家たちによって、「女性専用車両には男性も乗れる」という司法の判断が全国に拡散し、かなりの範囲で周知されたと私は思う。実際、私も、鉄道会社に種々の問合せ等をする中で、話題が女性専用車両に及んだ時、複数の職員から「女性専用車両には男性も乗れるんですよ」という発言を聞いている。このようにして、鉄道会社が使った専用という言葉と、司法の判断の乖離性が、広く認識されるようになった。

【7】 しかしこのような任意周知活動は、一方で、越えられない弱点を背負い続けてきたと私は思う。それは、車両の過密状況の中にあって、女性専用車両の効果を上回る痴漢被害対策を提起できなかったことにある。例えば防犯カメラの設置にしても、多数の設置はプライバシーに抵触するだろうし、仮に設置できたとしても、恐らくは死角を回避できないだろう。また、痴漢について、それは軽微な犯罪であるという主張があるが、現実には、痴漢被害の軽重は多様であって、軽い場合も、勘違いも、冤罪企図も存在するが、同時に、生涯トラウマとなって心に巣食う被害も、確かに存在するだろうと私は思う。そういう被害の現実に立脚すれば、「任意性の確認」を大前提としつつも、しかし女性専用車両は必要であるという、そういう判断が、人権上の配慮として最も質が高いと考えるのである。

【8】 関連して、男性専用車両の必要性に言及すれば、【1】に記した原田信助さんの自殺のように、痴漢冤罪被害は、男性の命までもを奪う。仮に自殺に至らなかったとしても、無実の罪を背負わされた男性は、生涯、性犯罪の前科者として、消えることのない忌まわしい噂に苦しめられるだろう。本人だけではない。子供も妻も父も母も、すべてが「性犯罪者の家族」として、生涯、その重荷を背負うのである。痴漢冤罪被害を軽視する人が、その理由として、発生頻度が痴漢被害より低いことを挙げる場合がある。しかし、その冤罪被害の深刻さを考えれば、たとえ1件であっても、それはあってはならないことに気付くはずなのである。もしもあなたが気付かない人物であるならば、あなた自身が痴漢冤罪被害に遭い、無実の罪を背負い、発狂するほどに苦しみ、死の淵をさまよい続ければよいのである。男女共存車両に於いて、痴漢冤罪被害は回避できない。男性専用車両を設置しなければならない。

【9】 女性専用車両問題には様々の議論があるが、何を原点として対峙すべきかを改めて問われれば、それは、上述のように、痴漢被害と痴漢冤罪被害の回避であると考える。「専用」という言葉と「任意であっての合憲」という司法の判断の乖離については、乗客の過密状況が解消されなければ、その溝を埋めることはできないと思う。要するに、司法の判断を認識の基本として据えつつ、しかし、痴漢被害と痴漢冤罪被害の回避のために、実効性が最も高いと判断される女性専用車両と男性専用車両を設置するのである。それが、過密を回避できない現状にあって、為されるべき最も妥当な施策と考える。過密が回避されれば、女性専用車両も男性専用車両も、廃止は可能となるはずである。
 
【10】 その他、付随した様々の議論については、男女それぞれの専用車両を設置した後で、各論として為されるべきと考える。なお、女性限定専用車両の影響を含め、【4】に記したような、近年の日本社会の女性優遇の拡大は、女性の幸福感を高める一方で、男性を、鬱屈した閉塞状況に追いやってきたと認識する。前回の記事「女子を嫌う小中高男子」では、その象徴的発言として、ある女性都議会議員の言葉を引用した。それは例えば、美しさを纏いながら我が物顔で街を歩く女たち。そして、未来の見えない閉塞状況の中で、下を向きながら歩く男たち。関連して、最新の国勢調査(2015年)で生涯未婚率を見れば、女性は14.1%、男性は23.4%となっている。男性は、ほぼ4人に1人が未婚なのである。その背景には、男性の非正規雇用の問題があるだろうが、併せて、女性であることの特権的意識を携えるようになった女性との、結婚を躊躇する男性が増えているだろうと推測する。女性と暮らすより独身の方が幸せなのである。関連して、後掲の記事となるが、2020/04/17に、毎日新聞からの引用記事を素材として「AI(人工知能)と結婚」を掲載した。
 離婚問題も含め、男女の愛が育ちにくい時代、男女の愛が壊れやすい時代、それは既に、少子化回避の大きな障壁として存在するようになったと私は思うが、内閣府の少子化対策部局は、この問題には踏み込めないのではないかと推測する。なぜなら、これらの問題状況の一因を作り出したと思われる男女共同参画局が、今もなお、男女共同参画という美名の仮面をかぶりながら、女性優遇配慮運動を展開しているからである。これらの二つの部局は、恐らくは忖度的関係にあるだろう。両者の間で、少子化問題の本質に踏み込む議論が為されるとは思えない。

【11】 関連して、このような状況とジェンダーギャップ指数の関係について、思うことを記す。その日本の指数は、特に政治参加について、顕著な女性差別の指標であるとして取沙汰されるが、例えば、国会議員や閣僚のスタンスを見るとき、数の上では圧倒的多数を占める男性が、私が今まで取り上げてきたような事象、つまりは、国民生活の中で拡大を続けてきた女性優遇、女性限定配慮を、是認、黙認、推進してきたのであって、災害対応を含む男女共同参画運動であるにしろ、消費の世界で拡大した女性優遇戦略であるにしろ、女性(限定)専用車両であるにしろ、その、男性の人権を軽視、無視するスタンスに対して、閣僚も国会議員も抑止力として機能してこなかった。彼らは、限りなくと言いたくなるほど、女性に優しく対応してきたのである。そして、このような女性優遇配慮は、やがて後掲する記事で述べるように、平等な人権尊重をとりわけ重視すべきはずの、医療の世界にまで浸潤するようになったのである。つまり、ジェンダーギャップ指数の上では、女性差別の加害的指標として位置づけられる圧倒的多数の日本の男性たちが、実際には、国民生活に拡がる女性優遇を、是認、黙認、或いは推進し、男性差別の加害者として機能してきたという性差別の構図が、今の日本の社会にはあると認識するのである。


posted by 翠流 at 03:14| Comment(2) | 女性専用車両 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする