2016年05月19日

熊本地震関連 (2) 

 熊本地震発災(4月14日)の夜、私は、ある高速道路のサービスエリアにいて、車の中
でNHK第一放送を聞いていた。キャスターは初め、「子ども・お年寄りに配慮を」と言
っていたが、やがてそれは「子ども・女性・お年寄り」に変わる。NHK内部で修正を求
める発言があったのか、外部から圧力がかかったのかは知らないが、私は、「またか・・・」
と、不快な思いでそれを聞いた。身体的にであるにしろ精神的にであるにしろ、弱さ・繊
細さを抱えた男性は、本来ならば配慮の対象とされるべきはずなのに、男性であるが故に
配慮からはずされ、女たちは、したたかであろうが強くあろうが、無条件に配慮の対象と
なる。女はそれを望み、男たちがそれを許す。

 似たようなことが、一昨年の12月、福島で行われた災害対応シンポジウム(注1)で
あった。パネリストは5人、そのうち男性は1人であった。彼は初め、災害弱者を「子ど
も・お年寄り」として話しを進めていたが、私には彼が会場の様子をうかがっているよう
に見えた。参加者の大部分は女性であった。そして彼は何回か同じ言葉をくりかえした後、
会場に目を向けながら言ったのである。「もちろん女性もそうですけれどね・・・・」と。

      (注1)〜第3回国連防災世界会議に向けてのシンポジウム〜
                防災・復興における女性の参画とリーダーシップ

 私は、「いのちの電話」の、ある女性相談員の言葉を思い出す。彼女は、男性差別の不
当性を訴える私の思いを、非常に良く受けとめてくれた。それは、単に相談員としての研
修で磨かれた技術によるものではなく、彼女の、一方の性に偏ることのない平等観と、彼
女の優しさの証しであったと私は思う。しかし彼女は、電話の最後に、いみじくも付け加
えたのである。「でもね、私みたいなことを言う女性は少ないんですよ。女はみんな自己
中心なんです・・・」と。

 女たちは、解放の時代にあって、意識するしないに関わらず、日本の社会を様々な形で
浸食するフェミニズムの擁護を受けながら、特権階級として、自己中心性を膨張させるよ
うになった。彼女たちの求めるものは、既に女性差別解消の域を逸脱している。彼女たち
は、社会に溢れる女性優遇を当然の如く享受し、男らしさの規範から脱却できない不器用
な男たちを尻目に、したたかに、ただ女たちだけのために、更なる優遇を求めるのである。
大切なのは愛より自分。倫理より自分。彼女たちは、その感情の機微と巧みな言葉によっ
て、女性優遇を正当化、或いは誘導する。男たちの不利益など、彼女たちの眼中にはない。
いやもしかすると、男たちの不利益は、彼女たちの快感であるのかもしれない。

 「かつて女性は差別されてきた・・・」と、そいう言葉が、乱雑に、或いは、自己本位の
フェミニズム運動の巧妙な利益誘導のために、意図的に使われる時代。そしてそれを受け
入れよと、男性差別の「男らしさの規範」を、言葉には出さずとも内実は暴力性を孕んだ
強制力を持って男性に要求する男たちが、社会の上層部にも、日常の中にも、支配的な影
響力を持って存在する。マスコミの論調もまた女性優先・女性優遇に彩られ、例えば少子
化対策やワークライフバランスの問題も、女性側への支援に傾斜して論評され、今もなお、
恐らくは「男性である責任」を重く背負いながら、非正規にあえぐ男たちの苦悩、そして
非婚の問題等を浮き彫りにした記事には、最近になって、ブログ「社会の荒廃 研究室(蜻
蛉の眼鏡)」の、次の記事(注2)を読むまで、私は出会えたことがなかったのである。

(注2)「社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)」
     「少子化はフェミニズムによる非婚化が最大の原因であることを世間に広めよ」
     http://blog.goo.ne.jp/grk39587/e/30d6de065e0282c847526f782a571320

 災害対応の問題であれば、東日本大震災をめぐる施策について、既にこのブログで繰り
返し指摘してきたように、内閣府の男女共同参画局であろうが全国各自治体の男女共同参
画部局であろうが、「男女共同参画」と名のつく部局は、私の知る限りすべて、「男女共同
参画の視点」という美辞を掲げながら、内実は「女性優遇・女性優先・女性限定の視点」
で、これもまた自己本位極まりない女性団体と共に、数々の男性差別の施策、男性の人権
を無視・軽視した災害対応を行ってきたのである。

 災害対応だけではない。「国民への健康支援」の問題にしても、昨年12月に閣議決定と
なった「第4次男女共同参画基本計画」の該当項目を見れば、男女局の本質が非常に良く
わかる。その題名は「生涯を通じた女性の健康支援」。私は、男性が抱える「命の危機」、
率直に言えば女性より深刻な男性の命の危機を、国民の死亡原因の第一位である悪性新生
物による死亡の性差、そして自殺の性差等について、数値と共に具体的に提示したが、男
女局は、題名を「生涯を通じた男女の健康支援」に変えよという要望すら受け入れず、内
容もまた、国民の命の現実と乖離して、男性の命の危機に真摯に対峙することなく、著し
く女性側への支援に傾斜した基本計画を作成したのである。それが、憲法14条の直下に
あるはずの部局、しかも「男女の人権の尊重」を謳った男女共同参画社会基本法第3条を
擁する内閣府男女局の施策であることを考えれば、それはまさに「裏切りの男女共同参画」
と表現するだけでは済まない男性差別なのである。

 熊本地震発災の夜、NHKラジオの報道と共に様々の思いが心をよぎり、私は、キャス
ターの言葉を放置できなかった。男性の人権を軽んじる理不尽なメッセージを、NHKが、
社会的圧力として全国に拡散させているのである。私は、時間外かとは思いつつも、翌朝
まで待つことができず、「NHKふれあいセンター:0570-066-066」に苦情の電話を入
れた。男性職員が私の電話を取った。相手の心は、声のトーン、言葉のトーンでわかる。
彼はマニュアルに沿って義務的な対応をしただけで、私の思いを受けとめてはいなかった。
そういう男は多い。男性差別の性別観が男の中にある。私は、帰宅の後、車の中で仮眠の
ような時を経て、午前3時頃、再びNHKに電話を入れた。受話器から録音メッセージが
流れる。発言は録音対応であった。翌朝、私は再びNHKに電話を入れた。私がどのよう
な発言をしたかは、このブログを以前から読んでくださっている方は察してくださるはず
である。思いが溢れ、語りきれない私に、対応した女性職員が電話の終了を告げた。私は
苛立ち、再び電話を入れた。昨晩からの経過を話す私に、別の女性職員の身構えるのがわ
かった。しかし彼女は、時間を理由に電話を切ることはなかった。

 以後、5月2日までの間に、熊本地震の災害対応に関わって、西日本新聞・東京新聞・
産経新聞・静岡新聞・河北新報・内閣府男女共同参画局・栃木県男女共同参画・登米市男
女共同参画・宮城県男女共同参画・減災と男女共同参画推進センター・内閣府防災・埼玉
坂戸防災・ピースウィンズジャパン・登米えがおネット(解散するも取材は継続)・イコ
ールネット仙台等に、電話をかける日々が続いた。


posted by 翠流 at 01:30| Comment(2) | 災害対応・要望書(2016・17年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする